2011年9月18日 ~仙台銀行支店巡礼(24) 岩沼支店・名取支店~

9月1日と4日は角田市伊具郡、14日は柴田郡を回った仙台銀行支店巡礼。今回は仙南ブロックで最も人口が多い岩沼、名取の両市へと入り、岩沼(306)、名取(307)の両支店を訪れることになる。人口と直接比例する訳ではないがこの両市は海に面していることもあって東日本大震災の被害も甚大なものがあり、死者・行方不明者の数も、岩沼市で184名、そして名取市で984名となっている。これまで訪れた市町ではゼロから多くて数名だから、かなりの差があると言っていいだろう。津波を被った沿岸部は今回の散歩では訪れないけれど、市全体のムードはどんなものなのだろうか、少々気になるところだ。
 
前回までの散歩と同様、桑折駅発6時30分発の下り始発電車に乗り、7時06分着の船岡駅で下車。駅前広場に降り立ち、駅舎を振り返る。船岡城を模したという重厚感のある駅舎だ。確か、80年代後半に竹下内閣が各市町村に一律1億円をバラ撒いたふるさと創生事業で建てられたものだと記憶している。奇妙奇天烈な運用をした市町村が相次いだためこの事業は失敗に終わったと評する人もいるが、こうして地に足のついた投資をした市町村もあるのだ。余談だが、私の住む桑折町でも、ふるさと創生事業のおかげで温泉施設・うぶかの郷がオープンし、観光拠点として今なお活用されている。
前回訪れた船岡支店(305)の脇から延びている銀座通商店街が気になるので、まずはここから歩いてみよう。
その名の通り、船岡の繁華街的存在なのかなと期待していたものの、古びた商店が多く、繁華街だった時期があったとしても「今は昔」なのだろうというのが正直な感想。また、強いて言えば飲み屋の比率が高かったが、閉店して「貸店舗」の看板を掲げているものも少なくなく、それが一層寂れた雰囲気を演出していた。
半ばいたたまれない気持ちになって、船岡小学校の前で旧国道4号線(主要地方道白石柴田線)に出る。旧国道ということもあって、カーディーラーやロードサイドショップが多く展開しているのが特徴だ。白石川の対岸を通る現・国道4号線の柴田バイパス沿道も同様の状況になっているから、銀座通沿いの個人商店などひとたまりもないだろう。特に目立つのがイオンで、現国道沿いにジャスコから転換したイオン船岡店、旧国道沿いにショッピングモールのイオンタウン柴田が進出し、白石川の南北で挟み撃ちの状況だ。柴田町に限らず、宮城県内ではとにかくイオンが強い。
阿武隈急行のガードをくぐると、国道349号線と合流し、ほどなく白石川に架かる白幡橋を渡る。過去の散歩で袂を歩く機会は何度もあったのに、意外にも渡るのは初めてだ。右手には白石川が阿武隈川と合流する様子がチラッと見える。
渡り終えるともう槻木の町。槻木駅東北本線阿武隈急行が合流する交通の要衝だが、町並みは小ぢんまりとした奥州街道の宿場町。商店街も駅周辺にちょこっとしかないものの、七十七銀行が支店を構えているのが目を引く。考えてみたら、七十七銀行は、仙台市より南に位置する4市9町において、七ヶ宿町を除くすべての市町に17支店2出張所の店舗網を築いている。一方、仙台銀行は、このエリアには4市4町に8支店1出張所が出店しているに過ぎない。彼我の差は歴然としている。
槻木の町を過ぎると、国道4号線に合流する。3月12日に仙台から桑折まで歩いて以来の来訪となるが、不思議とあの時の記憶がフラッシュバックしてこない。あの時の大歩行は、行こうか戻ろうか内心で逡巡していた序盤の仙台市名取市間と日が暮れたためどうやって歩こうか思案していた終盤の白石市桑折町間が妙に記憶に残っており、意を決して前進を続けていたその中間がスッポリ抜け落ちた形になっている。邪念や葛藤を抱いていた方が、何かと記憶に残るのだろう。
岩沼市に入る。前方に、日本製紙東洋ゴムの大工場が見えてくる。岩沼市もまた工業都市の顔を有しているが、特に日本製紙の工場から煙がモクモクと吐き出されているのを見ると、宮城県南部では最も工業都市らしい雰囲気を有する街だと感じる。
東洋ゴムの工場前で左折し、中心街へと入る。行き当たりばったりに入った道路だが、イチョウ並木が続き、結構落ち着いた雰囲気がある。それより何より、今日も彼岸直前とは思えないほどの暑さとなっているので、木陰で一息つけるのが有難い。
そんな道を1キロほど歩くと、右手に竹駒稲荷の大きな鳥居が登場する。宮城県民にとって岩沼市工業都市としてよりもこの竹駒神社の所在地としての知名度が高く、毎年正月には40万人ほどの初詣客が参詣するほどだ。砂利の引かれた参道に入り、境内に入ってみる。訪れるのは2000年の初詣以来11年ぶりのこと。初詣客や露店で賑わっていたあの時とは比べ物にならないぐらい静まり返っていたが、それでも数名の参詣客が訪れており、知名度の高さを感じさせる。
境内を出、参詣客用の宿泊施設が点在する一角を通り抜けると、奥州街道に出る。岩沼支店は、ここから奥州街道を少し北上した所にあった。時計を見ると9時02分。ATMが開くのは9時のことだから、まるで測ったような行程である。狙ってできるものではないだけに、ちょっと嬉しい気分になる。ATMで1,000円を入金。これで口座の残高は42,004円となり、東邦銀行の預金残高(41,013円)を上回った。
更に奥州街道を北上し、岩沼駅の少し北側にある交差点を右折する。ほどなくして国道4号線との交差点に出るが、そこも横断して更に直進すると、名取市最南端の堀内という集落に出る。この集落、名取市に属しながら郵便番号が「989-2412」で上5桁が岩沼市と同一(名取市なら「981-12**」となるはず)かつ市外局番も名取市の「022」ではなく岩沼市と同一の「0223」というちょっと変わった所なので、ずっと前から気になっていた。だから、この機会に歩いてみようかと思う。
が、堀内に入って驚いたのは、名取市で運行している乗合バス・なとりん号のバス停が、小まめに設置されていることだった。岩沼の街に隣接しており郵便番号や市外局番が岩沼市と同一であっても、ここは名取市域なのだとバス停が雄弁に主張しているのが面白い。しかもバス停名が「堀内南竹」「梅」「北竹」「亀」と妙に縁起良さげなところが面白い。ロードサイドショップが連なる国道4号線から近い割には集落は農村地帯であり、収穫直前の稲穂が律儀に頭を垂れている。右手には仙台東部道路の築堤が見える。この築堤が防波堤の役割を果たしたからこそ堀内の農地が守られた側面があるので若干複雑な心境に陥るが、周囲に田畑が広がる風景は近辺の動静に惑わされない堀内の矜持にも感じられた。
時折、上空で轟音が響く。4キロほど北東にある仙台空港を離陸する飛行機の音だ。この空港も震災で津波を被り滑走路が瓦礫と泥で埋め尽くされたというのに、今では機能がほぼ回復しているのだから驚く。
その仙台空港まで延びている主要地方道仙台空港線の高架橋が行く手を遮る直前で、国道4号線に合流する。館腰駅の前を通過し、1.5キロほど北上すると、旧国道(厳密には現在も国道指定を受けているが)が左に分岐する。間もなく名取支店だ。そう思ったものの、道のりが妙に長く感じられる。こんなに長かったけと疑問に思うが、船岡駅を出てから既に3時間が経過している。その間ずっと炎天下を歩いてきた訳だし、疲労もそれなりに溜まっているのだろう。
半ばヘロヘロの状態になりつつ、奥州街道増田宿をルーツとする名取市の中心街にある名取支店に到着。新し目の建物で、ATM機も三つあった。仙台銀行の店舗にしては多い方だ。斜向かいには七十七銀行の増田支店がある。仙台銀行が「名取」支店なのに対し、七十七銀行が「増田」支店という点に、両行の歴史の差を感じてしまう。もともと名取市は、1955年に増田町など2町4村が合併して成立した自治体だ。余談だが、七十七銀行増田支店は、名取市内の旧町村で増田と並び人口が多い旧閖上(ゆりあげ)町の閖上支店の業務も請け負っている。閖上名取市北西部、仙台湾に面した港町であり、東日本大震災に伴う津波で壊滅的な被害を受けた。
名取支店から名取駅までは500メートルほど。疲労状況、また次の訪問先が名取ヶ丘出張所(308)であることを考えると、ここで散歩を打ち切らざるを得ない。10時31分、名取駅に到着。橋上駅舎へと延びるエスカレーターに、へたり込むようにして乗り込んだ。
 
追記
散歩の翌日に、槻木に住む同僚の女性から、「○○さん、昨日槻木の国道4号線を歩いてませんでしたか。」と訊かれた。はぐらかそうかとも思ったのだが、結局正直に、歩いたと白状した。彼女には私の散歩趣味を話したことはなかったのだが、どうやら人づてに耳にしていたらしく「やっぱりそうだったんだ。」と特に驚いた様子もなく淡々とした反応。
だから余分な説明をしなくて済むという点では助かったと言えるのだが、散歩趣味を知っている人が多いということは、このブログの存在もバレつつあるのかもしれないと、若干気になった。下手なことは書けないな。こりゃ…