2011年9月28日 ~仙台銀行支店巡礼(25) 名取が丘出張所~

台風15号の襲来から1週間が過ぎ、東北本線常磐線の運行もほぼ再開され、鉄道被害が落ち着いてきた。今日は散歩に行けると思う。
朝7時に自宅を出、桑折駅発7時16分の下り列車に乗り込む。周囲は濃い霧に包まれており、やや肌寒い。衣替えはもう少し先の話だが、半袖短パンという私の服装は、周囲から見てかなり違和感のあるものに映ったであろう。
8時11分、名取駅着。橋上駅舎の西口に出、散歩スタート。まず目指すのは名取市街南西の丘陵に位置する、名取が丘出張所(308)。駅前広場から真西に延びている実方(さねかた)通りと称するポプラ並木の街路を通り、県道仙台館腰線へと出る。なお、実方通りの名前は、中古三十六歌仙陸奥守在任中に名取市西部の笠島で没したとされる藤原実方に因んでいる。
県道仙台館腰線は、3月12日に仙台から桑折まで歩いた際に通った。が、前回歩いた槻木付近の国道4号線と同様に、沿道の風景が殆ど記憶に残っていない。あの時はとにかく前進あるのみという気持ちで歩いていたのだろうし、液状化現象などに伴う路面の損壊にも注意しながら歩いていたから、風景に目を配る余裕がなかったのだと思う。
沿道に仮設住宅なども建っており東日本大震災の傷跡を残す県道を南下し、十三塚公園前の交差点を左折。ダラダラとした登り坂を登りきると、名取が丘へと入る。1970年代に宮城県住宅供給公社によって開発された住宅地で、名取が丘出張所はそのほぼ中央部に建っている。考えてみたら、仙台銀行の支店には、黒松(202)、将監(214)、松陵(223)と、同公社によって開発された住宅地に進出しているものが少なくない。
出張所前に到着したのは、8時42分のこと。ATMコーナーが開くのは8時45分なので、周囲を少しうろついて時間を潰す。近くに小学校が建っているのが見えたが、この小学校の名前、どういう訳か「名取が丘小学校」ではなく「不二が丘小学校」となっている。なお、この小学校には、津波で壊滅的な被害を受けた名取市沿岸部、名取川の河口に位置するの閖上(ゆりあげ)小・中学校が空き教室を間借りするなどして授業を行っているとのこと。閖上の子供達が一日でも早く故郷の校舎に戻れる日を願ってやまないが、現地の様子は今どうなっているのかが非常に気になる。なお、閖上は、次々回の散歩で訪れる予定だ。
開いたばかりのATMコーナーで1,000円を入金し、次の目的地は、いよいよ仙南ブロック最後の一店となった亘理支店(309)。張りきって南へと進もう。
丘陵を降りて奥州街道へと入り、宿場町ではなかったのだが街道筋の雰囲気がそれなりに残っている植松の住宅街を通り過ぎると、田んぼの只中へと出る。稲刈りは半分程度終わっているようだ。来週までにはあらかた収穫されてしまうのだろう。頭上に轟音が響く。飛行機の音だとわかっているから、いちいち見上げない。名取市岩沼市ではそんなものを気にしていては散歩にならない。
岩沼市との境界付近で、国道4号線へと出、ロードサイドショップが張り付く沿道の風景を眺めながら南下する。スーパーよりも、飲食店やいわゆるカテゴリーキラーの割合が高い。「♪カステラ一番、電話は二番」のコマソンで知られる文明堂の工場や、郡山市にも同名の病院が存在する総合南東北病院なんてのもある。ある意味何でもありの街並みだ。
そんな街並みの南端、ニトリ岩沼店の脇から、左手に国道6号線が分岐している。入るとすぐに、阿武隈川に架かる阿武隈橋になるから、少々面食らう。ロードサイドショップ街の印象が強すぎて、こんな近くに阿武隈川のような大河が流れているとは全然気がつかなかった。河口近くに架かっているだけあって阿武隈橋は長い橋で、渡り終えるのに6、7分は要したろうか。渡り終えると亘理町へと入る。この町を歩くのは2008年9月13日以来3年ぶりで通算3度目。自宅からそんなに遠くはないのだが、どういう訳か縁がない。もっとも、東日本大震災の影響で亘理駅以南の常磐線はかなりの長期間不通が予想されているし、行きづらい町であることは間違いない。
その常磐線の不通によって亘理町どころかそれより南の相馬市、南相馬市仙台市とを結ぶ大動脈としての役割を一手に担うようになったのが、今歩いている国道6号線である。が、クルマの通行量は、予想していたほど多くない。行き交うクルマのナンバープレートも確認してみたのだが、大半が宮城ナンバーであり、9月4日に歩いた丸森町国道113号線とは異なり福島ナンバーは殆ど見受けられなかった。亘理町の南の山元町から仙台方面へは常磐自動車道仙台東部道路と高速道路が整備されているから、相馬地方のクルマはそちらをチョイスするのかもしれない。
沿道は、住宅地と田畑が入り混じる風景が続く。名取市とは異なり、亘理町の田んぼは稲刈りが殆ど進んでいない。黄金色の稲穂が広がる風景は、心が洗われるようだ。が、この亘理町でも津波の襲来に伴い、300人ほどの死者、行方不明者を出している。
いささか単調な風景を数キロほど南下すると、左手に亘理町中心部へと至る旧国道(陸前浜街道)が分岐する。手持ちの地図によると亘理支店は街道沿いにあるとのことなので、迷わず南下。
この時点で、伊達政宗重臣であった伊達成実(しげざね)の城下町であった亘理の街並みを堪能しつつ亘理支店を訪れ、仙南ブロック制覇の大団円を夢想していたのだが、商店街が連なる五日町や中町を通り抜けても、亘理支店が姿を見せてくれない。これはいったいどうしたことだろうと軽いパニックに陥る。中町の南に位置する上町(かんまち)に至っても店舗の気配がないので、地図を見間違えたのだろうと諦めて五日町まで引き返し、駅前中央通の商店街をを亘理駅方面へと歩いてみる。
ところがこの通りにも亘理支店が見当たらないまま、とうとう駅前まで来てしまった。亘理支店はいったいどこにあるのやら。恐らく移転したのだろう。考えてみれば、私が参考にした地図は10年程前に発行されたもの。きちんと事前にチェックしておかなかった私が悪いのだ。
こうなったらローラー作戦をかけて何が何でも亘理支店まで辿り着こう、亘理町の中心街は狭いから20分もあれば見つけられるだろう… と思いかけたが、駅前の様子がどうもおかしい。期末テストで早帰りとおぼしき高校生が何人も小走りで駅舎へと駆けていくのが見える。どうやら、仙台方面への常磐線の発車時刻が近付いているようだ。臨時ダイヤとはいえ常磐線の運行本数は1時間ヘッドが確保されているものの、この時点で名取駅を出てから既に3時間以上が経過し、それなりに疲労している状況下での1時間待ちぼうけは、体力的にやや厳しい。結局、亘理支店への来訪は次回の散歩に先送りすることにし、私も高校生とともに駅舎への道を急いだ。1番線ホームに停まっていた列車に乗り込むと、1分もしないうちに扉が閉まり、「ハイ、さようなら」とばかりにあっけなく発車してしまった。
 
帰宅後に調べてみると、亘理支店は2004年に陸前浜街道沿いの五日町から町中心街のやや南側、主要地方道塩釜亘理線沿いに移転したとのこと。繰り返しになるが、事前に調べておけば何と言うことのない話だった。自身の間抜けぶりに改めて呆れてしまう。
この不手際によって次回の散歩のスタート時刻を、ATMコーナーが開く9時前後に繰り下げざるを得なくなってしまった。ルート自体は従前の方針通り仙台空港近辺を終点とするつもりだが、恐らく散歩の終了時刻が正午を過ぎることになるだろう。