2011年10月13日 ~仙台銀行支店巡礼(28) 塩釜支店~

9月1日から再開した仙台銀行支店巡礼も、今日訪問する塩釜支店(401)をもって最後となる。
淋しい気もするが、致し方ない。もっとも、今後の散歩をどうするのかはまだ決めていないのだが。
 
桑折駅6時30分発の始発電車に乗り、仙台駅へ。ここで仙石線に乗り換えて、散歩の起点となる中野栄駅には8時04分に到着した。仙台育英学園高校多賀城キャンパスの最寄駅であり、構内は高校生で溢れかえっていた。
多賀城キャンパス」という名前で推察できるように、中野栄駅多賀城市との境界に程近い。橋上駅舎の北口から5分も歩くと多賀城市に入ってしまう。周囲の風景は仙台市域も多賀城市域も住宅地であり、高校のあるなしだけが異なっている。市境を示す標識もなく、一体化した街のように見える。
校門に吸い寄せられるように入っていく高校生の一群を見届けてから、東へと進む。高校の敷地を過ぎると風景は一面の田んぼとなるが、この辺りの田んぼは今年作付をしなかったらしい。津波の被害があったのか、それとも住宅地へと転換する予定があるのか、詳しくはわからない。
前方には、三陸自動車道の高架橋が見えている。仙台-石巻間の大動脈である仙石線高城町-矢本間が今もって不通である中この道路が代替機能を担っている側面があるからか、行き交うクルマが結構多い。仙石線の全線運行再開にはあと4、5年はかかるだろうから、この傾向はしばらく続くのだろう。
その高架橋をアンダークロスした先を左折して、多賀城八幡(やわた)小学校の脇やアパートの多い住宅地を通り過ぎると、砂押川に架かる舟橋の袂に出る。橋の東側には高架化工事真っ最中の仙石線の線路。昨年11月25日に多賀城支店(211)を訪れた時にもまだ工事中だった。一応、今年度には完成するということではあるようだ。
舟橋の北側に林立する高層マンション群を通り抜け、多賀城駅前へ。更に砂押川沿いの歩道を東進すると、国道45号線へと出る。塩竈市中心部まで、この道路をずっと進もうと思う。
多賀城市仙台市ベッドタウン的色彩が強く、駅周辺に大規模な商店街が形成されなかった一方で、国道45号線や市東部を縦貫している主要地方道仙台塩釜線沿いにはロードサイドショップ街が形成されている。ただし、近接する利府町のロードサイドショップ街に比べると、集積度合いはさほどでもないようだ。住宅が建て込んでいるから、駐車場を確保するのも一苦労なのだろう。多賀城市の人口密度は3000人/1平方キロを上回っている。
主要地方道塩釜七ヶ浜多賀城線との交差点を過ぎると、それまで4車線だった幅員が2車線に減少する。周囲は細かい起伏が連続する丘陵地となるが、それを障害ともせず覆いつくすように住宅が建て込んでいる。どういう訳か、沿道には仙台銀行のキャッシュコーナーもあった。よくよく考えてみれば、多賀城支店は元々この辺りにあったのだ。周辺における住宅の集積具合や近くに下馬駅が所在するロケーションを考えれば、多賀城駅近くにある旧德陽シティ銀行多賀城支店の建物に移転統合せずに、この地に「下馬支店」として残しても良かったのではないかとも思う。
丘陵の分水嶺を越ると、塩竈市に入る。塩竈市もまた人口密度が3000人/1平方キロを越えており、平地が乏しく丘陵が海に迫る市域内が住宅で埋め尽くされている。横須賀市佐世保市にも似た、東北地方らしからぬ風景が展開するのが特徴とも言えよう。
そんな訳で、港町・塩竈であっても、丘陵地に展開する住宅は、東日本大震災による津波の被害を受けていない。その代わり、建築年代の古い住宅や商店の中には、地震そのもので大きく被災した所も少なくないようで、沿道には閉店や長期休業へと追い込まれた店舗が散見された。商店には、すし屋やバー、スナックといった業種が目立つ。この辺は、港町らしいと言えるだろうか。
しばらく北上を続けると商店よりも倉庫や工場の比率が高まり、塩釜港(仙台塩釜港塩釜港区)の一画へと出る。前方には塩釜湾(千賀ノ浦)がチラリと顔をのぞかせ、沿岸には松島とを結ぶ観光船着場・マリンゲート塩釜の建物が見えている。この建物は津波の被害を受けているが、早くも5月には観光船の運航を再開させているから驚く。駐車場には観光バスの姿も見えるし、「しおがま・みなと復興市場」と銘打ったプレハブ建ての市場も開かれていた。
マリンゲート塩釜からは海岸伝いに西進。イオンショッピングセンターの脇を通り過ぎ、仙石線の高架橋をアンダークロスする。塩竈市内の仙石線が高架化されていて本当に良かったなと思う。もし地平と同じ高さを走っていたならば、今なお復旧できていなかったのではなかろうか。
本塩釜駅前を通って、塩釜支店のある本町(もとまち)へ。塩竈の中心街は長らく低迷が続いていると耳にしていたが、予想に反して、人通りはそこそこ見られた。ただし、その大半が高齢者であり、街の将来を考えるといささか心許なくはある。
鹽竈神社の門前近くにある本町は、地元住民の集客よりもむしろ観光に力を入れているような感じがした。なまどら焼きで知られる菓匠榮太楼や地酒・浦霞醸造元である佐浦の酒蔵が軒を連ね、路面はタイル舗装、街灯には今年が鹽竈神社式年遷宮の年にあたるフラッグが掲げられていた。塩釜支店もそんな街の一角で営業していたのであるが、震災で建物が被災したため、現在は少し離れた場所にある仮店舗で営業を行っている。ATMは設一応置されているがカウンターの片隅にあるため、営業時間は平日の9時から15時の間に限定され窓口との一体化を余儀なくされている。土日祝日にお金の入出金ができないのは少々痛手かもしれない。
店員の「いらっしゃいませ」の声に迎えられながら、1,000円を入金。金額とともに、店舗コードの「401」がハッキリと印字されている。次の店舗コード「402」は、石巻支店。震災がなく気分がノっていたのならばひょっとしたら遠征していたのかもしれないが、今は100%無理だ。塩釜支店で巡礼を打ち切らざるを得ない。
 
塩釜支店を出た時点で時計を見ると、まだ9時25分。散歩開始から1時間ちょっとしか経っていない。
せっかく塩竈に来たのだから、これから鹽竈神社へと参拝しようかと思う。毎年40万人以上の初詣客が訪れる奥州一の宮。巡礼のフィナーレを飾るには相応しいスポットではないかと考えたのだ。
長々と続く石段を登りながら、散歩の今後についていろいろと考えを巡らせる。いろいろな案が浮かぶが、帯に短し襷に長しで、なかなか決定打が出ない。神頼みも無駄だったようだ。これについては、もう少し、じっくりと考えよう。急いで結論を出すことはない。