2011年10月19日 ~とりあえず、仙台まで戻る~

前回の散歩の際も思い悩んだ今後の散歩企画についてであるが、とりあえず、仙台から奥州街道を南下して、昨年9月以来ご無沙汰となっている郡山市まで行ってしまおうと考えている。郡山市に着いた後どうするかについては腹案があるが、これについては後日発表することにしたい。いずれにせよ、郡山市周辺を歩くのは、年明けの話ということになるだろう。
で、今回の散歩はそ前段階として、前回の散歩で訪れた塩竈市から仙台駅までを歩こうかと思う。仙台市から先は奥州街道を歩くのだから塩竈市から仙台市までの間も歴史ある石巻街道を歩くべきかなとも考えたのだが既に1月30日と3月2日に歩いてしまっているので、足の向くまま気の向くまま歴史も最短ルートも考慮しない行程にするつもりだ。
 
いつものように、桑折駅発6時30分の下り始発電車で出発。7時40分着の仙台駅で7時46分発の下り列車に乗り換え、前回の散歩の終点だった塩釜駅に8時02分到着した。
まずは、主要地方道泉塩釜線に入り、仙台市の東端・宮城野区岩切を目指す。泉塩釜線は岩切から泉中央にかけては4車線の立派な道路となっているが、塩釜市内から多賀城市東端の浮島地区にかけては旧態依然のままであり、センターラインや歩道すらない箇所も散見される。沿道は小高い丘陵地となっているが例によって住宅が建て込んでおり、拡張しようにも容易ではなさそうだ。
そんな風景が連続するから線路なんて全然見えないが、東北本線はこの道路の南側、さほど離れていない所を通っている。東北歴史資料館跡の建物の辺りからは近年バイパスが開通し、泉塩釜線と東北本線とは更に近づいた。左手少し離れた所に、2001年に開業した国府多賀城駅の橋上駅舎と東北歴史資料館の後継施設である東北歴史博物館の建物が見えた。
平安時代を思わせる赤い欄干が印象的な橋で砂押川を渡ると、バイパスは旧道と交差し、その北側を通るようになる。旧道沿いは新旧の家屋が混在する住宅街なのに対し、バイパス沿いは田んぼが広がりロードサイドショップすら皆無である。その一方で眺望はきき、右手遠くには三陸自動車道仙台北部道路とが分岐する利府ジャンクションや新幹線総合車両センターの建物が姿を見せている。仙台北部道路東北新幹線の高架橋をオーバークロスするのでかなり高い位置を走っており、近未来のような様相を呈している。反面、左手の旧道沿いに展開する住宅街はというと、特に古い住宅の屋根にブルーシートが乗っているのが散見され、東日本大震災の爪跡が今なお深く残っている現実を見せ付けてくれる。
東北本線利府支線をオーバークロスする直前でバイパスは4車線に広がり、東北新幹線の高架橋をくぐると岩切の住宅地へと入る。塩釜駅を出てからまだ1時間も経っていない。行政区画的にも沿道風景的にも、いろいろ目まぐるしい。
利府街道(主要地方道仙台松島線)との4車線道路同士となる交差点を右折し、七北田(ななきた)川を渡る。このままこの道路を直進すれば1時間半ほどで仙台市中心部へと突入できるはずだが、渡河して1キロほど先にある県道今市福田線との交差点を左折し、遠回りを試みる。 この県道は都市計画道路鶴ヶ谷仙台港線の一部をなしており、利府街道付近の1キロほどの区間を除けば4車線の幅員が確保されている。もっとも、先ほど歩いた泉塩釜線のバイパスと同様に沿道風景の大半は田んぼであり、過剰整備の感がなくもない。
その実態を払拭しようとしているのか土地区画整理事業が進められている一帯を通り抜けると、別の4車線道路との交差点に差し掛かる。この道路は、都市計画道路定禅寺通上田子線。定禅寺通が東へと延伸して、なんとこの一帯にまで延伸する計画なのだという。10年20年のスパンどころか私の存命中に全通するかどうかすら怪しい道路ではあるが、全通した日のために準備された無駄に太い道路が、田んぼの中を一直線に西へと延びている。
近景は稲刈りが終わった田んぼばかりだから、視線は自ずと遠景へと向けられる。右手は東北新幹線の高架橋、東北本線の線路、利府街道とその背後の丘陵に控える鶴ヶ谷の住宅街、左手は仙石線の線路、車両基地とその背後の住宅街という構成だ。両者の距離が少しずつ狭まっていき、仙台市中心部が近付いているのをそれとなく感じる。そうそう、前方の風景も忘れていた。田んぼの先に仙台バイパスの築堤が城壁のように聳え、更に先には高層ビル群が見えている。
その仙台バイパスをアンダークロスすると、新田東の住宅街。2004年に仙石線小鶴新田駅が開業して以降急速に発展した地域でもある。その様子を一目見たいと思ってきたのだが、路面の様子がどうにもおかしい。元々田んぼだった地域を開発したからか液状化現象が著しく、車道ではマンホールが出ベソのように浮き上がった格好になっているし、タイル敷きの歩道は剥落が著しく無残な姿を晒している。沿道の建物には特段変わった様子が見られなかっただけに、余計に路面の損傷ぶりが目立っている。皮肉なものだ。
交差点を左折して小鶴新田駅へと向かい、橋上駅舎の中を通り抜けて梅田川のほとりへと出る。北岸は住宅街、南岸は工場群と、川を挟んで地域の性格が正反対になっているのが面白い。工場群の中には、山交バスの営業所もあった。宮城県山形県とを直結する高速バス、長距離バスは現在これでもかとばかりに運行されているが、仙台に営業所を有していることがその源泉になっているような気がしないでもない。
やがて工場群が尽き、仙石線の線路がオーバークロスすると、苦竹駅周辺の住宅街となる。かつては「苦竹小路」のゲートが掲げられた古臭い飲み屋街が広がっていたが、現在は大半が立退き、跡地は広々とした空き地となっている。いずれマンションでも建つのだろうか。時代の流れとはいえ、淋しく思う。
更に歩くと、国道45号線に合流。東北本線の貨物線をアンダークロスし、宮城野萩大通りとの交差点を通過すると、右手に原町(はらのまち)本通の商店街が分岐する。苦竹小路の崩壊を目の当たりにしたばかりだったので、下町風情が残る街並みが見たくなり、引き寄せられるように商店街へと入る。
「がんばろう!宮城 がんばろう!仙台」と力強く書かれたフラッグが街灯に掲げられた商店街を西進。気合が空回りするかのように人通りはあまり多くなかったが、近くの小学校で運動会が行われているらしく、スピーカーであれこれ叫ぶ声がハッキリと聞こえてきた。考えてみれば、こないだの土日は雨に祟られた。だから平日開催だったのだろう。
原町本通は石巻街道の宿場町でもあり、このまま進めば二十人町、名掛丁を通って仙台駅方面へと出られるが、このルートも1月30日に歩いたので、別のルートをチョイスする。まずは、仙台原町郵便局の前から分岐する細道を右折する。沿道にはギッシリと住宅が詰まっている。この界隈の人々が原町本通の商店街を利用するのだろうなと思いながら更に進むと、清水沼公園というちょっと広めの公園の前に出る。その名が示すようにこの公園はかつて清水沼という沼地だったが、1968年に埋め立てられた経緯がある。
その清水沼公園の北辺をなぞるように西へと進んでいくと、いよいよ仙台城下町の枠内へと入る。今歩いている通りは小田原長丁通といい、長丁(錦町)に繋がる通りということで名付けられた。牛小屋丁から車通に至るまで南北通が目立つ小田原界隈においては貴重な東西通であり、沿道には商店もそこそこ進出しているように見受けられた。
仙山線東北本線が並行して通っている箇所を踏切で渡ると行政区が宮城野区から青葉区へと変わり、更に西進すると宮町へと至る。小田原長丁通と長丁とは宮町を介してクランク状になっており、商店が連なる宮町をほんのちょっと南進して長丁へと入る。狭くて一方通行の道をしばらく歩くと突如として道幅が広がり、駅前通と定禅寺通とが交わる交差点へと至る。
この交差点を南下すれば10分程度で仙台駅に着けることは分かっている。が、もうちょっと歩きたい気持ちがあった。時計を見ると11時になろうかというところ。11時04分発の福島駅行快速列車には到底間に合わないから、次発となる12時00分発の普通列車(厳密にはこの列車は白石駅行で、同駅にて福島駅行の普通列車に乗り換える)に乗れればいいや。ならば12時ギリギリ寄り道してみようという心境であった。
幸いと言うべきか、この交差点は、1976年に廃止された仙台市電循環線の経路上にあたっている。この路線は仙台駅前から駅前通⇒定禅寺通⇒勾当台通⇒北四番丁⇒西公園通⇒南町通と経由して仙台駅前に戻っているので、この機会に駅前通を除いた全区間を歩き通そうかと思ったのだ。
まずは、定禅寺通を西進する。鬱蒼としたケヤキ並木のイメージが強い街路だが、市電が通っていた区間に関して言えば、街路樹の繁殖具合はさほどでもない。宮城県庁に程近いからか、沿道には商店が少なくオフィスビルや行政庁の庁舎が建ち並ぶ。
勾当台公園を右手に見ながら進むと、東二番丁・勾当台通との交差点。1980年代半ばまでは東二番丁と勾当台通とはクランク状をなしていたが、現在は一直線に通れるよう改められている。余談だが、この交差点は、45号線、48号線という二つの国道の起点でもある。定禅寺通は国道45号線、勾当台通と北四番丁は国道48号線を兼ねている。
切り良く「11:11」の時刻が表示されている仙台市役所の脇を通り抜け、10月23日に開催が迫った全日本大学女子駅伝(杜の都駅伝)の告知を伝えるフラッグがはためく勾当台通を600メートルほど北上すると、北四番丁との交差点。地下鉄の北四番丁駅が真下に所在することもあり、沿道には商店も多い。
再び西へと向きを変え、北四番丁を進む。沿道に東北大学付属病院が所在する関係で、調剤薬局や喫茶店果物屋といった病院絡みの店が多いのが特徴だ。
病院の少し手前で、晩翠通との交差点を渡る。仙台市中心部における南北軸の街路として重要な役割を果たしている晩翠通だが、なぜか仙台銀行支店巡礼全般を通じて一度も歩く機会がなかった。なお、晩翠通の名称は、仙台出身の詩人・土井晩翠の名に因む。
この交差点から更に300メートル進むと、西公園通が左手に分岐する。北一番丁までの区間仙台市中心部の主要街路にしては野暮ったい雰囲気で、歩道もあまり整備されておらず、信号機もダイオード発光ではない旧式のものである。でもそれが逆に市電の現役時代を想起させてくれると言えなくもない。なお、この界隈には仙台市営バスの車庫があるが、これは以前市電の車庫で会った。
北一番丁から先は歩道を広く取った街路へと変貌。右手には西公園も登場し、逆に仙台市らしい街路となる。特に定禅寺通との交差点の辺りは杜の都の真骨頂と呼べるかもしれない。よくよく考えてみれば、定禅寺通は、錦町公園、勾当台公園、西公園と仙台市中心部における代表的な公園を有機的に結ぶグリーンベルトとしての役割を担っている。
更に西公園通を南下、広瀬通との交差点を歩道橋で通過し、地下鉄東西線の工事が進む青葉通との交差点に差し掛かる。西公園の敷地はここまで続いているが、地下鉄が真下を通ることもあって樹木が大胆に伐採されているのは少々残念。地下鉄開通後にどれだけ復旧できるか期待を寄せたいところだ。
交差点を過ぎて100メートルほど進むと、西公園通はグイッと左手にカーブする。この辺りが西公園通と南町通との境界ということになっている。ただし、歴史的に言えば本来の南町通は奥州街道に面した南町(現在の一番町二丁目界隈)より東側、仙台駅前までの区間となる。
この辺りで時計を見ると、11時40分を指していた。歩む足を少し早める。信号機の近くでは小走りにもなった。電車の時刻が迫ってしまい終盤の散歩がジョギングめいた様相を呈してしまうのもまた、我が散歩ではよくあることである。やれやれ…
おかげで何とか11時54分には仙台駅に着くことができたのだが、沿道風景をじっくり見られなかったのは少々残念。感傷に浸る間もなくホームで待っていた電車に乗り込むと、間をおかず発車メロディーが鳴り始めた。