2011年10月27日 ~奥州街道を南下する① 仙台から岩沼まで~

さて、前回の散歩の日記に書いた通り、今回の散歩から、奥州街道を一気に南下しようと思う。
勝手知ったるルートなだけに、散歩時間には、最低でも3時間を課したいと思う。今日のスタートは仙台駅だから、私の脚なら岩沼駅辺りまでは行けるだろうか。
とにもかくにも、桑折駅6時30分発の下り始発電車に乗車し、7時40分に仙台駅着。通勤通学者の群れに混じりながら駅舎を後にし、ペデストリアンデッキを渡ってハピナ名掛丁へと向かう。ハピナ名掛丁クリスロードマーブルロードおおまちと続く中央通のアーケード街は城下町時代から続く仙台の街の東西軸であり、奥州街道へと向かうには最もふさわしい道だと思う。
もちろん、往時の面影など何もない。代わりに目立つのは、イーグルスベガルタ89ERS仙台市に拠点を置くプロスポーツチームを応援するフラッグだ。
今シーズン5位に終わったイーグルスクライマックスシリーズへの進出こそ絶たれたが、今日はドラフト会議の日。どんな選手が入団するのか楽しみだ。イーグルスとは対照的に今シーズンは大健闘を見せているベガルタACL(アジアチャンピオンズリーグ)出場圏となる3位浮上がまだ視野にあり、今後の戦いぶりが要注目。そして89ERSは、東日本大震災の影響で2010-11シーズンこそ活動休止を余儀なくされたが、2011-12シーズンは復活をアピールするべく戦線に復帰する。
よくよく考えてみると、ベガルタなでしこリーグに所属していたTEPCOマリーゼの選手を受け入れたし、89ERSはゼビオのバックアップを得てあすと長町に新本拠地となるゼビオアリーナを建設中(2012年秋に完成予定)。なお、ゼビオアリーナはアイスホッケーの試合も開催可能な設計になる予定とか。となると、ゼビオの孫会社であり現在郡山市八戸市を本拠地としている東北フリーブレイズの本拠地も、仙台市に移転してしまうかもしれない。
震災を経てスポーツ面での仙台一極集中が進む… しかも、皮肉なことに、それを後押ししているのが福島県の企業だったりする。ゼビオに関して言えば、先日、郡山市にある本社機能を福島県外へと移転する意向を表明した。仙台市も移転候補地の一つらしい。こういった傾向を、仙台市は認識しているだろうか。復興で足を止めず、東北地方全体のために、もっともっと頑張り続ける必要があると、個人的には思う。
そんなことを考えながら歩いていたら、アーケードが尽き、奥州街道と交差する芭蕉の辻へと突き当たる。ここから先は、ひたすら奥州街道を南下。大町から南町、柳町へと進む。柳町では、あの忌々しい仙台トラストタワーの姿を目の当たりにする。が、震災を経た後も決定的な損壊を免れてそそり建っている姿を見ると、母校の跡地に建っているという個人的な思いはいい加減にご破算にしようと思う。
北目町、上染師町、田町、更に南下する。上染師町から田町にかけては一方通行の隘路で、下町の雰囲気が色濃く残る。豆腐の匂いが、微かに漂った。
国道4号線(愛宕上杉通)を横断すると若林区に入り、荒町、南鍛冶町、穀町と、これまた下町テイストたっぷりの地域を通る。往時を偲ばせる建物はほとんど残っていないのだが、家々の区画が城下町時代を引き継いで間口が狭く奥行きが深い短冊形となっているのが特徴だ。そんな街並みを、自転車通学の高校生が駆け抜けていく。
穀町の南端にある枡形を通り抜けると、南材木町。その南端で一旦旧国道4号線に合流するものの、すぐ先の交差点で仙台城下町の南端となる河原町の商店街が左へと分岐する。規模は小さいが、歩行者に気を配った街路構成で商店街らしい姿を見せている河原町を通り抜けると、城下町の境界となる丁切根(ちょうぎんね)の跡を通過。ほどなくして再び旧国道4号線に合流し、広瀬橋広瀬川を渡る。右手を見ると、仙台市中心部のビル群が展開している。やはり、仙台トラストタワーがひときわ目立つ。先ほどご破算だと思ったものの、やはり複雑な思いが去来してしまう。 
広瀬川から先は長町宿を起源とする長町の商店街。それなりに年数を経た商店も目立つが、震災の被害はさほどでもないように見える。沿道には、来月初旬に投票予定の県議選に備え、候補者の事務所も開設されていた。
宿場町の南端に位置する長町駅前の交差点で左折し、現・国道4号線でもあるあすと長町大通りへと入る。この道路は本来奥州街道ではないが、区画整理で旧道の跡が分からなくなってしまったから、致し方ない。この時点で、仙台駅を出てから1時間が経過。道路標識を見ると岩沼市まで14キロとあるので、今日の終点は岩沼駅になるだろうか。
あすと長町大通りの沿道は、チョボチョボと建物が建ち始めてはいるものの、相変わらず更地が多い。そんな一角に、仮設住宅が建っていたりする。交通至便ではあるが終日クルマや鉄道の騒音に悩まされるという微妙なロケーションではないかと思う。
太子堂の駅前を過ぎるとあすと長町は終了。2車線に狭まり、本当に国道4号線かという裏面状況となる。名取川を渡り、中田宿を起源とする中田の住宅街に差し掛かると、歩道もろくに整備されていない体たらくなのだ。東北本線の西側には区画整理された街並みが広がっているものの中田界隈は基本的にスプロール現象そのままの状態で、今後の根本的な都市基盤整備が求められるところだろう。
南仙台駅前を通過し、1キロほど南下すると名取市に入る。名取市内もまた、歩道の整備が覚束ず歩きにくい状況。仕方なく路肩や側溝に被せられた蓋の上を歩いてみるものの、路傍にトラックなど停まっているともうお手上げだ。危険を冒して車道を歩かざるを得ない。何とかならないものだろうか。
名取駅前から10月5日に歩いた閖上(ゆりあげ)へと延びる都市計画道路名取駅閖上線との交差点を過ぎると、増田宿を起源とする名取市中心部の商店街。この界隈もまた9月18日に歩いたばかりであるが、改めて沿道の建物を見ると、震災の被害が結構大きいのに気づく。宿場町時代を偲ばせる蔵造りの建物には、瓦屋根が大きく崩壊しているものもあった。
その傾向は、増田川や東北本線を渡った先の、飯野坂や植松でも顕著だ。この界隈は宿場町ではなかったのだが旧家が多く、その多くが瓦屋根の破損など大きな被害を受けている。建物自体も大きくやられ、解体を余儀なくされた家屋も複数あるようだ。既に解体された跡の更地にポツンと残されたポストに「仮設住宅に転居しました」と書き置きしている家もあった。
植松を過ぎ、県道仙台館腰線との交差点を渡ると、住宅が尽き田んぼの只中へと出る。ここもまた9月28日に歩いたばかりだが、あの時一面に実っていた稲穂は一つ残らず刈り取られ、田んぼでは野焼きが行われていた。野焼き… 今年の福島県では、放射性物質の拡散懸念から殆ど見られない風景だ。プロスポーツの仙台一極集中傾向といい、野焼きといい、宮城県を恨めしくさえ思う。
再び東北本線を渡り、国道4号線へと合流。ひっきりなしにクルマが行き交う4車線の道路を500メートルほど南下すると、岩沼市。ほどなく、街道が右手に分岐し、岩沼市街へと入る。市街北端にある相の原団地の集合住宅付近で、散歩開始から3時間が経過した。
やはりルートの詳細を知っているからか、ここまで比較的淡々と進んできたように思う。岩沼市も通過して柴田町槻木辺りまで歩けそうかとも思いかけるが、腹八分目に留めておこう。岩沼宿を起源とし竹駒神社が鎮座する岩沼市の中心部は更に先にあるが、その手前で右に折れ、岩沼駅へと向かった。
10時59分、岩沼駅着。駅前を見渡すと、かつてあったはずの建物がきれいさっぱり更地化されていた。これは震災の被害によるものではなく、駅前広場の整備事業に伴うものらしい。確かに岩沼駅の駅前広場は、駅の規模に比べて貧弱だった。数年後にどのように生まれ変わっているのか、非常に楽しみである。