2011年11月9日 ~奥州街道を南下する③ 大河原から白石まで~

前回の散歩では、小雨の中大河原駅まで歩いた。
それを受けての今回の散歩。自ら設けた「3時間ルール」に則れば、白石市の中心部を通過して越河駅まで歩くことになろうかと思う。
ところが、ちょっと困った問題がある。
日中に越河駅に停車する電車が、極端に少ないのだ。
私の散歩ペースから算出すると大河原駅から越河駅までは約4時間かかると見込まれるのだが、仮に桑折駅を6時30分に発つ下り始発電車に乗車したとすると大河原駅7時02分着。ここから4時間歩けば11時過ぎには越河駅に着くことになるがこの駅を発つ福島方面への電車は、11時02分発を逃すと12時59分までないのだ。ちなみに、その次の電車は14時26分発で、各々の便の間には越河駅を無情に通過していく快速仙台シティラビットが挟まっている。
散歩のスケジュールを立てる時には「どうやって帰るか」まで頭に入れる性質なので、越河まで歩くのはややリスキーなチョイスのように感じる。従って、やむを得ず、一つ手前の白石駅で打ち止めということにした。なお、大河原駅から白石駅までの歩行時間は、2時間30~40分と見積もっている。白石駅を9時41分に発つ福島行の電車に間に合うかどうかは微妙なところ。もし間に合わなければ、白石城でも見物しながら暇を潰すとしようか。
 
そんなシュミレーションを立てた上で、大河原駅に到着。仙台方面への通勤客の姿が目立つが、この駅で降りる高校生も少なくない。考えてみれば、この駅は大河原商業、柴田農林と二つの高校が徒歩圏内にある。また、駅前広場に停車していた村田町方面へと至るバスへは、村田高校へと通学するとおぼしき制服姿が何人か乗りこんでいた。
尾形橋を渡って、奥州街道へと入る。大河原町の中心商店街は駅の北側に展開しており、南側は商店が少なめ。ただし、なまこ壁の旧家が散見され、宿場町らしい雰囲気は北側よりも濃厚だ。
沿道に、玉松味噌醤油という醸造業を営む工場がある。「玉」の字が強調され伊達市保原町にあるタマスズ醤油とよく似た社章を持つこの会社。なんと、北限のゆずの果汁を加えたゆずぽん酢醤油がおススメ商品なのだとか。調べてみると、隣の柴田町は入間田字雨乞という曰くありげな地名を持つ場所にゆず農園があるとのことなのだが、福島県民の多くは「北限のゆず=信夫山」というイメージを抱いているから、信夫山より50キロ近く北に位置する大河原町で同様のフレーズを耳にすると多少の違和感を抱いてしまう。もっとも、信夫山のゆずは「木が何本か生えている」程度でありとてもじゃないが「栽培してます」と胸を張れるような規模のものではないし、そもそも信夫山どころか大河原町からも100キロ以上北に離れた陸前高田市でも「北限のゆず」が栽培されており、これを利用したお酒やお菓子も販売されているとか。地球温暖化進行中の折ゆずの北限もまた北上を続けることだろうし、南東北の人たちはいい加減「北限」にこだわらない方が良いのかもしれない。
仙台地裁支部宮城県の合同庁舎が建ち並び大河原の行政都市としての側面を伺わせてくれる一画を通り抜けると、国道4号線に出る。
国道沿いには、これでもかとばかりにロードサイドショップが展開している。大河原町のロードサイドショップ街は、洋服の青山カワチ薬品ユニクロケーヨーデイツーといわゆるカテゴリーキラーが集中しているのが特徴であり、イオン船岡店を核としている柴田町船岡・船迫界隈の国道沿道とは様相が異なる。また、駐車場も含めて一店一店の敷地が広く、宮城県南部一円から集客がみられるのも頷ける。
そのロードサイドショップ街の南西端に位置するみやぎ生協の店舗の脇から、奥州街道が分岐している。沿道は、金ヶ瀬の宿場町だ。ちょうど小学生の通学時間帯に差し掛かっており、ランドセルを背負った小学生と何度か遭遇した。大河原町仙台市と同様に、個別通学が基本。が、奥州街道は思いの外クルマの通過が多いので、沿道の各所において住民の方が交通整理を行っていた。
自転車の姿も目立つ。大半は大河原駅方面へと向かうものだが、白石市方面へと向かう高校生の集団も見かけた。ここから白石市までは10キロ以上あるはずだが、自転車で通い通す猛者なのか。それとも、北白川駅まで自転車を利用し、あとは電車通学なのかもしれない。自転車ならば、金ヶ瀬から北白川駅までは10分程度で到着する。意外に近いのだ。
宿場町を通過すると、再び国道4号線に合流。この辺りの国道はまだ2車線であり、現在4車線化工事が進行中だ。なお、北白川駅方面へと向かう県道北白川停車場向山線との交差点の少し手前で、蔵王町との境界を通過する。
蔵王町内に入ると、国道4号線の4車線化工事は行われておらず、旧態依然とした2車線道路のままとなっている。右手には丘陵、左手には白石川、沿道には住宅も殆どないという風景が続く。頭上高くを東北新幹線の高架橋が跨ぎ、上り下り双方の列車が高速でひっきりなしに通過している。
そんな風景が2キロ近く続くと丘陵が後方へと退き、平地が広がる。国道の車線も再び4車線となり、仙台コカコーラボトリングなどの工場が進出する工業団地も展開する一画を過ぎると、右手に奥州街道が再び分岐。そちらへと分け入ってしばらく歩き、松川を渡ると、宮宿を起源とする宮の集落に入る。
宮は東日本大震災直前の今年3月9日にも訪れたし概要はそれなりに把握していると思っていたのだが、改めて歩いてみると、集落内に医療機関が多いことに気づかされる。集落の西側、白石市との境界に大泉記念病院という大きな病院があるし、集落内にも内科が1軒、歯医者が2件所在する。内科の隣には四ツ目屋という変わった屋号の薬局もあった。工業団地の存在といい、規模に比して密度の高い医療機関といい、宮は妙に味のある集落だ。
三度国道4号線に戻り、大泉記念病院の少し手前で白石市との境界を通過する。ほどなくして、東北自動車道白石ICが登場。仙台市以南においては奥州街道よりかなり西側を通っている東北自動車道であるが、ここから県境を越えて桑折町付近までは、奥州街道と絡み合いながら進む形となる。
白石市に入ってからしばらくの間奥州街道国道4号線と重複する形になるが、児捨川を渡った先で、今度は左手に分岐する。沿道は既に白石市の市街地外縁の住宅街であり、比較的新しい家屋やアパートが建ち並んでいる。
そんな風景を2キロほど歩くと、白石川に架かる白石大橋に差し掛かる。白石川の川幅は尾形橋近辺に比べるとかなり狭いのだが、河川敷はかなりのスペースが取られており、運動公園として活用されている。ちょうど付近の小学生が公園を訪れているらしく、教師の指示に従って一ヶ所に集められ、説明を受けていた。
なお、奥州街道は、白石大橋よりもやや西側で白石川を渡河していたとのことであり、従って奥州街道も、白石大橋からまっすぐ南へと延びている旧国道4号線よりも西側を通っていた。白石名産の温麺(うーめん)の製造元・マツダ麺業の脇が、片倉氏の城下町であった白石市中心部における奥州街道の北側の玄関口であった。
少し歩くと、国道113号線に出る。この道路もまた、かつての奥州街道。蔵造り、あるいは石造りのの商家が散見され、かつてメインストリートだった雰囲気が伝わってくる。
亘理町の交差点で旧国道4号線を渡り、寺子屋の雰囲気が残る白石第一小学校の校門前を過ぎると、奥州街道国道113号線から別れ、右手へと分岐する。その先は、長町、中町のアーケード街。アーケードが施された商店街は宮城県内では貴重な存在であり、仙台市の中央通り(ハピナ名掛丁クリスロードマーブルロードおおまち)、一番町、石巻市の立町大通り、あと塩竈市中心部にわずかに残るに過ぎない。既に時計は9時20分を回り、開店する店舗もチラホラ出始めているものの、客足は殆どなく、淋しさを感じる。1995年に白石城を復元するなど白石市では観光面での強化、交流人口の増加に対してそれなりの努力を払っていると思うが、アーケード街はその恩恵に浴していないようだ。
ところで、先ほど「時計の針は9時20分」云々と書いたが、これは予想外に早い到着時刻であった。このペースが維持できるならば白石市中心部から8キロほど南に位置する越河駅にだって行けそうに思えるのだが、同駅発11時02分の電車に間に合わなかった場合を考えると、やはり躊躇してしまう。白石市中心部で電車に乗り遅れてもいくらでも暇潰しができるが、越河ではできかねる。駅付近にあるコンビニで立ち読み三昧というのも気が引けるし、更に南下し県境を越えて貝田駅まで歩くというパターンも想定したが、明日以降に糸を引く疲労を残しそうだ。結局、リスク回避の思考が働き、白石駅で打ち止めという結論に落ち着いた。