2011年11月19日 ~奥州街道を南下する⑤ 桑折から金谷川まで~

前回の散歩まで4回に分けて仙台市から桑折町の自宅へと歩いたのだが、奥州街道の南下はまだ終わらない。
今回からは、桑折町から更に奥州街道を南下して、郡山市を目指そうかと思う。
なお、桑折町から郡山市までの奥州街道は、一昨年の夏から秋にかけて、
 
2009年8月19日 桑折町南福島
2009年8月28日 南福島駅~二本松駅
2009年9月13日 二本松駅~日和田駅
2009年10月5日 日和田駅郡山市桑野
 
と歩いた経験があるので、今度の南下では、一昨年よりもより長い距離を歩くことを目標にしようかと思う。さしあたって、今日の散歩では、南福島駅の1駅南にある金谷川駅を目指そうと考えている。
 
午前5時前に起床。身支度をして、5時半に自宅を出た。冬至まであと1ヶ月と迫ったせいもあってか、空はまだ暗い。未明の桑折宿を、テクテクと南下する。
ようやく空が白んできたのは、出発から30分ほど経過し、吉川紙業や曙ブレーキなどの工場が密集する一画に出た辺りであった。東北中央自動車道が頭上を通過するのは曙ブレーキの少し南側だろうか。そんな未来予想図を描きながら更に進むと、伊達市へと入る。ほどなく、それまで田畑も目立っていた沿道に、住宅が密集するようになる。この辺りから南福島駅付近までの奥州街道福島市の市街地や、その外縁の住宅地ということになる。それを今回の散歩で一気に突っ切ろうというのだから、我ながら思い切った行動に出たものだ。
国道399号線との交差点を過ぎ、伊達市伊達町の中心商店街を通り抜け、摺上川を渡ると福島市。ほどなく瀬上の宿場町へと入る。自宅を出てからここまで1時間が経過した。これはほぼ計算通りの行程だ。今回の散歩では瀬上、福島、清水町、浅川新町(若宮)と四つの宿場町を経由するが、出発から1時間後に瀬上宿、2時間後に福島宿、3時間後に清水町宿、3時間半後に浅川新町(若宮)宿と経て、4時間後に金谷川駅という目安で考えていた。
宿場町らしく瓦屋根が目立つものの東日本大震災後の補修がままならずブルーシートを被っている家も少なくない瀬上宿を過ぎ、鎌田、本内と住宅街を南下する。左手には付かず離れずの間隔で国道4号線が走っており、奥州街道はパチンコ屋やロードサイドショップの裏口として利用されている。何となく悔しい。
松川を渡河する直前で、ようやく信夫山が見えてくる。頂上を見上げ、やはりこの山は福島市のシンボルだと思いを新たにする。山容が赤や黄色に染まりつつある山容を右手に見つつ、福島市の中心街目指して南下を続ける。
国道4号線を渡り、奥州街道はその東側へと舞台を移す。右手の信夫山が後方に去ると同時に、左手には福島競馬場の大きな建物が接近してくる。震災や福島第一原発事故の影響で今年の開催はできなくなってしまったが、馬券売り場としての機能は失われず、先月末には1階スタンドが再オープンするなど明るい話題も見られる。客の姿はまだないが、場内勤務者らしい人たちが続々と建物の中に吸い寄せられている。
人通りは、競馬場への出勤者だけに留まらない。その少し南に位置する福島東高校へ登校するとおぼしき高校生の姿も、チラホラと見られる。福島市内で五本の指に入る進学校でもある同校。あと2ヶ月と迫った大学入試センター試験に向けて、3年生の追い込みも激しさを増していることかと思う。なお、同校の脇を通過したところで、散歩開始から2時間が経過した。福島の旧市街はそのすぐ南側、国道114号線との交差点を渡った先にあるから、ここでもまたほぼ計算通りの行程となる。
豊田町から入り、北町、上町(うわまち)、大町、本町(もとまち)、中町、荒町、柳町と続く福島城下町の街道筋。レンガ通りやパセオ通りの一部となってしまった大町や本町はその面影を残していないが、中町以南に関しては、何となくそれらしい雰囲気が漂う。菊屋の羊羹など商家の雰囲気を残す建物が建っていることもあるが、特に注目すべきは街道の西側、100メートルほど奥まった所にある寺院群の存在だ。いずれの寺院も、奥州街道から山門へと至る細道がまっすぐに延びている。敵が街道沿いを襲来した際に藩士が各寺院に籠り、脇から奇襲攻撃をかけるのに有効な仕掛けになっているとのことらしい。そんな歴史的経緯が今の町割にも残っていることが、何となく嬉しい。
荒川を渡ると、ジャージ姿の中学生と何度もすれ違う。確か川の南岸に福島第一中学校があったはずだから、そこの生徒だろう。「F」の字が書かれた帽子を被った野球部員らしき生徒もいた。あの「F」は「Fukushima」「First」どちらの頭文字だろうかなどと、どうでもいいことを考えながら地下歩道で国道115号線をアンダークロスする。
実はこの工場が登記上の本店となっている日東紡の福島工場の前を通り過ぎると、中学生に替わって候補者名を連呼する選挙カーの姿が目立つようになる。あすが投票日だから各候補者とも「最後のお願い」をしきりに連呼している。既に期日前投票を済ませてしまい、福島市選挙区の投票権を有さない私にとっては、単なる騒音だ。早くこの一帯を通過しなければという思いが先走る。そのおかげか、8時15分頃には、南福島駅前を通過した。
中町から南福島駅付近までの奥州街道は旧国道4号線のルートと一致するが、南福島駅以南はそこから右に別れた急坂の細道となる。息を切らせながら坂を登りきると、共楽公園の敷地内へと入る。信夫山と同様に園内の木々がきれいに色づいており、ちょうど今が見ごろ。この公園を境に沿道からは住宅が消え失せ、次の宿場町となる清水町までは畑や雑木林の中となる。左手を見ると震災で崖崩れの被害があったあさひ台の住宅地を目の当たりにし、右手を見ると眼下に東北新幹線の線路が見通せ、今日は曇っていてよく見えないが晴れていれば遠方に吾妻連峰が見渡せるというロケーション。つまりここは、尾根だ。どうしてこんな所を選んで街道が通っているのかは、よくわからない。
国道4号線をオーバークロスし、杉妻(すぎつま)自動車学校の前を通過すると、清水町宿に入る。旧家もそこそこ見られるが、その合間にアパートが挟まるという新旧混然となった家並みだ。この辺りから金谷川駅付近までは、福島県立医科大学福島大学、あるいはNECなどの工場も近い関係で、鄙びた風景の割にはアパートが少なくない。
国道4号線を今度はアンダークロスし、清水町と同様に旧家とアパートとが入り混じる浅川新町(若宮)宿や福島大学の正門前を通過する。大学の構内を突っ切れば金谷川駅には早く着けるが、私は若干遠回りをし、1キロほど南に位置する県道金谷川停車場線との交差点まで奥州街道を南下した。なお、この交差点の辺りが地域としての金谷川の中心で、郵便局や保育園、体育館などが建ち並んでいる。時計を見ると9時を回っている。さすがに散歩を切り上げても良い頃合いだ。
街路樹が整備された金谷川停車場線を進み、散歩を締めくくる。沿道には福島大学の学生御用達とおぼしきアパートが建ち並び、生活感に欠ける若干不気味な風景が展開している。
そんな中を、選挙カーが通り抜けたりしている。ワゴン車の窓枠に腰掛けるいわゆるハコ乗りで、選挙権があるかどうかわからない学生相手に大声で名前を連呼していた。必死なのは十二分に理解できるが、ハコ乗りは危険だ。選挙に落ちる前に窓枠から落ちて大変なことになりはしないかと、非常に心配になった。
9時29分、金谷川駅着。散歩時間は3時間59分で、ほぼ当初予定通りの行程であった。