2012年1月25日 ~美術館通りとはやま通り~

前回の散歩から、なんと50日ほどのご無沙汰となってしまった。
昨年12月中は仕事が忙しくとてもではないが休日に外出などという状況にはなかったし、年が明けてからも散歩に行きたいと思う気持ちとは裏腹に寝坊や風邪で貴重な時間を無駄にしてしまった。
長期間のブランクとなってしまい、非常にまずいなという思いがある。というのも、当初の予定では、1月中に郡山市内を歩き終えて、2月からは別の企画をやりたい意向があったからだ。2月13日が私の40歳の誕生日。その日を境に新たな企画を行う予定だったが、誕生日までにそのスタートラインに立てそうにない。
 
桑折駅発5時41分の上り電車に乗車し、6時53分郡山駅着。
本宮駅から日和田駅までの間に沢山の高校生が乗車し、彼らに押し出されるように駅舎を出る。
今日のルートは、美術館通りを東進して緑ケ丘で折り返し、主要地方道小野郡山線を西進して郡山市中心部に戻るというもの。それぞれの道路で安原橋、行合橋と阿武隈川に架かる二つの橋を渡る。なお、終点は郡山駅ではなく、小野郡山線の西端に位置するはやま通りを更に進んで、郡山市役所付近で高速バスに乗って帰る予定を立てている。
まずは、ビッグアイの脇を通り過ぎ、美術館通りとの交差点を右折。すぐに、東北本線その他の路線をアンダークロスするゆうゆう地下道がお出迎え。この手の道路は無骨で殺風景なデザインが多く、前回の散歩でも飽きるほど目にしてきたが、ゆうゆう地下道はさすが「美術館」通りだけあって明るい照明と壁面の斬新なデザインが施されている。市立美術館で催されている企画展の案内ポスターも貼られている。駒井哲郎という銅版画家の作品展。駒井哲郎って誰だろう。美術界では有名な人物なのだろうか… 私はこの世界にはとんと疎いのでよくわからない。
地下道を出ると、ロードサイドショップが建ち並ぶ一帯に入る。星総合病院の移転新築工事も進み、これからますます賑やかになる予感もある。東部幹線との交差点付近は、外食店が集中している。右手にはガストとデニーズ。そして左手には、ドトールコーヒーとガソリンスタンドが一体となった施設がある。幸楽苑喜多方ラーメン来夢といった郷土色を感じるラーメン屋も軒を連ねている。
その周囲にはビバホームやヨークベニマルなど広大な駐車場を有する店舗が展開しているが、これらの敷地を過ぎると、沿道の風景は住宅地へと変わる。一部には田んぼも残っておりこれから開発が進むものと推察されるが、それを見越してか美術館通りの幅員は4車線と広く、狭まることなく安原橋へと続いている。考えてみれば、歩行者が通行可能な郡山市内に架かる阿武隈川の橋で4車線なのはここだけだ。福島市内に架かる同様の橋は文知摺橋、大仏(おさらぎ)橋、弁天橋と三ヶ所あるから、福島市は凄いなと一瞬感じてしまうが、後二者は国道4号線が曲流する阿武隈川をものともせずに通った結果であるから、別に福島市郡山市より都市規模面で勝っているという訳ではない。
安原橋を渡ってもなお4車線を維持した美術館通りは、1キロほど緩やかな登り勾配を経て、郡山市立美術館の前へとたどり着く。この表現は誇張ではなく、もう少し街中に近い場所だって確保できただろうに、どうしてわざわざこんな山の中に好き好んで美術館を建てたのだろうという思いとともに出てしまう。信夫山の麓、福島交通飯坂線の美術館図書館前駅(!)の前に建つ福島市の県立美術館と比べるとかなり不便なロケーションだし、周囲に人家も殆どない。今年で開館20周年を迎えるこの施設。小耳に挟んだところによると、当時の市長が「東北新幹線から見える丘陵上に建てたい」と発言したからこの地に建つことになったとか。
美術館の敷地を過ぎると、右に緩やかにカーブし、下り坂へと差し掛かる。下りきった所が、県道斎藤下行合線との交差点。この道路は一昨年の6月11日に東進したことがある。確かあの時は、磐城守山駅から緑ケ丘を北上してこの交差点に至り、三春町へと歩いたんだっけ。梅雨入り前の暑い日だった。一瞬フラッシュバックする思い出。
逆に今回は、緑ケ丘を南下する。歩道には残雪。この点も一昨年とは対照的だ。登校中の中学生と何度もすれ違いながら、丘の上の住宅街を進む。さすがにこの辺りまで来ると美術館通りの幅員も2車線に減っているが、中央には広々とした分離帯が設けられ、「名は体を表す」格好になっているのが嬉しい。もっとも、その雰囲気をブチ壊しにするかのように沿道の電柱では工事が行われており、各所で車両が歩道を塞いでいる。その都度裏道への退避を余儀なくされるが、一見の通行人などまず通らないであろう裏道を歩くのも、散歩の妙と言えなくもない。
住宅街が尽きると下り坂に差し掛かり、大滝根川を渡ると、小野郡山線とのT字路に突き当たる。ここで美術館通りはおしまい。あとは小野郡山線をひたすら西進となる。
大滝根川と別れ、軽い登り坂をしばらく行くと、左手にあぶくま養護学校の校舎が見えてくる。郡山市近辺には、このあぶくま養護学校をはじめ、同校の安積分校や郡山養護学校福島県聾学校須賀川養護学校など、支援学校が充実しているイメージがある。郡山養護学校福島県総合療育センターと隣接し福島県における肢体不自由児教育の基幹校だし、県立聾学校もまた福島、会津、平の各分校を擁している聴覚障害児の基幹校だ。県立盲学校こそ福島市に所在するが、それ以外の障害児教育において、郡山市近辺は福島県の中枢としての役割を果たしていると言えよう。
更に西へと進むと、郡山市街を一望に見渡せる高台の上に出る。
郡山の街は起伏こそ少なくないものの丘陵と呼べるような自然地形に乏しく、街並みを俯瞰できるスポットはビッグアイの展望台ぐらいしかないものとばかり思っていたので、この風景は意外だった。残雪が積もる真冬の今は白一色の光景だが、緑濃い時期に再訪したいと思う。
丘陵から坂を下ると、谷田川に架かる谷田川橋を渡る。郡山市東端の田母神に端を発し郡山市田村町を貫流するこの川は、この橋の1キロほど北側で大滝根川と合流し、阿武隈川へと注いでいる。だから谷田川橋を渡ると間髪入れずに阿武隈川に架かる行合橋が登場する。ただし、丘陵や田んぼが広がっていた谷田川の東側に比べ、西側は住宅地が広がっている。前回の散歩で歩いた郡山中央工業団地へ至る道路も分岐している。
行合橋の先は、もう郡山市の中心街。沿道の芳賀、方八町といった地域には、多少古びた商店街が続いている。地盤が弱く水害にも遭いがちな郡山市なだけに東日本大震災や昨年9月21日に襲来した台風15号の被害が心配されるところだが、その傷跡が殆ど感じられなかったのでホッとした。なお、この界隈には、日本大学工学部の学生が比較的多く住んでいるとのことらしい。とは言うものの、同校の学生が殆ど男子ということもあり、華やかな雰囲気は感じられなかった。
芳賀と方八町との境界で、東部幹線と再び相まみえる。ちょうど前方から、福島交通のバスがやってきた。郡山駅前と福島空港とを結ぶリムジンバスであった。このバスの存在は承知していたが、小野郡山線を経由することは初めて知った。阿武隈川の東岸に沿って南下するのであろうか。車内の様子がチラリと見えたが、驚いたことに乗客が全くいなかった。福島空港の苦境を目の当たりにするようで、少々辛い。
東北本線をオーバークロスしなかまち夢通りの南端を通り抜けると、昭和通り(国道4号線)との交差点。歩行者は広場と一体化した地下歩道で、この道路を横切る。渡った先もまた小野郡山線だが、幅員はかなり狭くなる。ここから先がはやま通りとなるが、無味乾燥な主要地方道よりもしっくりくるネーミングだと思う。
古びた商店街を西進。沿道の建物の中には東日本大震災で大きく倒壊し道路を蓋いだものもあったと聞いていたが、すべて撤去され、街は以前の姿を取り戻しつつあるようだ。右手遠方にザ・モール郡山の建物が見える。私は郡山市中心部には何度となく足を運んでいるが、一度もこの店に入ったことがない。変な話だ。機会を見つけて実地検分しなければ、と思う。
ここで時計を確認すると、9時20分を回っていた。福島行の高速バスは、確か9時30分台にはやま通りの500メートルほど北を並走するさくら通りを通過するはずだ。のんびり構えていたけれど、急がねば。早足にギア・チェンジし、こおりやま文学の森資料館の前を通り抜けて内環状線との交差点を右折。さくら通りへと進む。
9時31分、郡山市役所のバス停に到着。東日本大震災で塔屋を失った市役所の姿が痛々しく目に飛び込む。築40年を超えたこの建物も、そろそろ建て替えの時期に来ているのではなかろうかと感じる。
 
時刻表を確認すると、福島行の高速バスは、9時40分に通過予定とのこと。
が、さくら通りは日中においても数分おきに路線バスや高速バスが行き交うバス銀座とも言える通りであり、私が待っていた10分弱の間に、仙台行と会津若松行の高速バスが続けて通過した。
私がバス停に着いた時に先客が二人待っていたが、彼らは仙台行のバスに乗車した。バスの車内には15、6人はいただろうか。まずまずの乗車率である。
続いてやってきた会津若松行のバスは、私の姿を見つけると停車し、ドアを開きかけた。慌てて「乗るつもりはない」と顔の前で手を横に振る。このバスの車内にも、5人前後の客がいた。
そしてやってきた福島行のバス。乗り込んでみると、なんと乗客ゼロ… 非常に驚いた。
確かに、郡山市内を発着する高速バスの状況を見ると、最も多いのが会津若松行の一日(以下同様)31往復であり、次いで仙台行の26往復、更にいわき行の23往復と続き福島行はこれに次ぐ13往復と4番手に留まっている。ついでに言えば、福島行は土日祝日になると9往復に減便されるので、東京新宿行の12往復をも下回る。私が目にした乗車状況も、その結果が順当なものであるとの証左と言えるかもしれない。
が、福島県を代表する二つの都市圏を結ぶバスが、この体たらくで良いのだろうか、とも思う。東北新幹線東北本線といった鉄道網が充実しているから高速バスなど不人気なのかもしれないが、少なくとも会津若松行やいわき行の後塵を拝するのはあまりにも不自然だ。
同様に新幹線も在来線も通っているお隣新潟県新潟市長岡市との間には、平日31.5往復、土日祝日27往復の高速バスが通じている。ここまでなって欲しいとまでは言わないが、せめて郡山、福島両市間の相互交流が活発になれば、福島県全体にもその元気が波及するのではなかろうか。