2012年2月15日 ~内環状線をぐるっと半周~

寒波の襲来やら何やらで、歩く機会がないまま前回の散歩から3週間も過ぎてしまった。その間に、私は40歳の誕生日を迎えてしまった。40代になってしまったのと直接の関係はないと思うが、どうも出不精気味だ。
そこで今回は、ちょっと気合を入れて歩こうかと思う。と言っても、郡山駅を出発してから内環状線の北半を半周し富久山大橋などを渡って再び郡山駅に戻るという行程だが、内環状線の一部区間や冨久山大橋は一昨年相次いで開通した箇所でもあり、散歩マニアにとっては興味津々の部分はある。
 
いつものように、桑折駅5時41分発の上り始発電車に乗車。前回の散歩では郡山市役所から高速バスで帰ったので今回も高速バスで郡山市内を目指すべきなのだが、無理に乗ろうとすると福島駅前で40分以上待つ羽目になり、散歩のスタート時間が遅くなる。郡山駅まで電車に乗りここから徒歩で内環状線を目指した方が、スムーズな行程が堪能できそうだ。
定時ならば福島駅で我が列車を追い越すはずの上り「北斗星」が遅れた影響を受け、8分遅れの7時01分、郡山駅に到着。登校中の高校生に混じって2階の出口から外へと出る。天気は薄曇りだが気温はさほど低くなさそうだ。残雪も殆どなく、順調にさくら通りを西進する。
郡山駅周辺と同様に、さくら通りも、徒歩、自転車に加え沿道のバス停からも高校生が降りてきてそれなりの賑わいを見せている。彼らの多くは、沿道に所在する安積黎明高校の生徒らしい。全国屈指の合唱の強豪で楽都郡山を強力に下支えしている同校は、福島県安積郡立安積実科高等女学校として開校してから今年で100周年を迎えるという。が、東日本大震災で校舎にひびが入った影響で、仮設のプレハブ校舎での授業を余儀なくされている生徒が少なくないとのこと。せっかくの節目の年をプレハブ校舎で迎えなければならないというのも、少し可哀想な気がする。
そこから少し西へと進むと、今日のメインイベントである内環状線との交差点。通勤ラッシュの時間帯で行き交うクルマが多い4車線のこの道を、まずは北へと進む。イトーヨーカドー郡山店や福島銀行郡山営業部などある程度の中枢機能も備えた商業地域となっているうねめ通りとの交差点を渡り、更に北上すると下り坂に差し掛かる。下りきった所が逢瀬川にかかる富田橋で、渡った先には新しい家屋が建ち並ぶ備前舘の住宅街と、郡山インター線との交差点が現れる。そしてここから先が、一昨年開通した区間となる。
まずは緩やかな坂を右にカーブしながら登っていき、登りきったところで磐越西線と安積街道(県道荒井郡山線)とをまとめてオーバークロスする陸橋に差し掛かる。前方には八山田(やつやまだ)の区画整理された住宅街が控えているが、磐越西線には駅がない。この付近を通るたびにいつも思うのだが、ここに駅がないのは非常にもったいない。
八山田に入っても内環状線は4車線を維持しており、沿道には住宅とロードサイドショップが入り混じるように展開している。安積町荒井の郡山南インター線沿道や大槻町南部の静御前通り沿道に雰囲気が似ていなくもないが、八山田には地形の起伏が多いことが相違点であろうか。丘陵の頂上付近を占めている内環状線沿道に対して、それを無視するかのように国道4号線が切り通しで南北を一直線に縦貫しているのがある意味面白い。もっとも、国道4号線南行2車線、北行1車線と基幹国道にしては幅員が狭い。どうにかならないものかと思う。
国道4号線をオーバークロスした後内環状線は丘陵を下り、国道の800メートルほど東側を通っている奥州街道(県道須賀川二本松線)とは平面交差する。ちょうどこの辺りは福原宿で、汲み取り便所の煙突が備え付けられた古い家屋が散見される。丘の上の新興住宅街・八山田とは対照的な光景だ。
奥州街道との交差点から更に東進すると、東北本線東北新幹線をまとめてアンダークロス。登ったり下ったりと結構忙しい道路だなと思いながらガードをくぐった先は、コメリの福島地区本部の大きな建物がある他は、完全な農村風景。少なくとも80年代までは、八山田にもこんな風景が広がっていたんだろうなと想像を巡らせる。
更に300メートルほど進むと内環状線は半ば暴力的に途切れており、2車線の国道288号線のバイパスが不自然な形で後を継ぐように接続している。内環状線とこのバイパスは本来それぞれに延伸してこの接続地点も将来は四つ角として整備されるところなのだろうが、今はそのようになっている。
バイパスをしばらく進むと、富久山大橋が現れる。バイパス自体にも4車線化の計画があるからだろうか、橋の手前には道路に沿って2車線分の細長いスペースが確保されている。富久山大橋の歩道もまた片側にしかなく、将来の4車線化に備えられた格好だ。
阿武隈川の左右を見ると、右側には現・国道288号線が架かる逢隈橋、左側には磐越自動車道が架かる橋が見える。高速道路はさすがに渡れないが、逢隈橋は次回の散歩で渡る予定だ。今回は、逢隈橋の一本南に架かる阿久津橋を渡って、郡山駅へ戻ろうかと思う。
渡河直後にバイパスと立体交差している主要地方道二本松金屋線に入り、南下する。考えてみたら、この道路は、一昨年7月6日に小野町まで散歩に行った帰途高速バスに乗った時に通った記憶がある。郡山東インターチェンジ磐越自動車道を降り、富久山大橋の東詰でこの道路に入って国道288号線との交差点まで行ったんだっけ。交差点の近くには小さな公園があった。何となく見覚えがある。
国道を渡り、更に南下。ここまで2車線を維持してきた二本松金屋線だが、国道のすぐ南を並走している磐越東線をアンダークロスする辺りで、急激に道幅が狭くなる。3メートルほどであろうか。クルマのすれ違いはもちろんのこと、大型車が通り抜けることすら難しそうだ。この辺りの磐越東線が開通したのは1914年。あと2年で節目の100周年を迎えるが、その当時から変わらぬたたずまいを保っているのかもしれない。
更に南下すると、再び道幅が広くなる。右手に阿武隈川の堤防が続く田んぼの只中。遠く前方にはビッグアイをはじめとした郡山市中心部の街並みも見えている。
この辺りは阿久津町という。アクツとは川沿いの低湿地を意味する地名で、茨城県や栃木県ではまさにその地形を表した「圷」の字が当てられることが多い。かつては洪水も少なくなかったのであろうか。阿久津町の集落は、低湿地を避け丘陵に設けられていた。ちなみに、アクツの対義語としてハナワという地名もあり花輪、塙などの字が当てられる。福島県南部にある塙町の「塙」もまた、その仲間と考えられる。
集落のすぐ西側に、阿久津橋は架かっていた。ちょうど逢瀬川が阿武隈川に合流する地点に位置し、確かに降雨時には注意が必要そうな地形に見える。集落が高い場所に設けられたのも納得だ。
橋を渡るとその先は郡山市街の外延といった雰囲気になり、工場や物流系の企業、住宅などが増えてくる。中でも目をひく建物が、橋の西詰に建っている福島県食肉流通センター。一応株式会社の体裁をとっているが社名に「福島県」と入っていることから福島県がバックアップしているのは疑いようがなく、これまたどうしてそんな施設が県庁所在地の福島市ではなく郡山市にあるのかと思ってしまうのだが、県もまたその中央に位置する郡山市の流通上の拠点性、利便性を認識しているということなのだろう。
食肉流通センターの正面には、「福島牛」と並んで「麓山高原豚」の幟が立っていた。「麓山高原豚」とは初めて目にする名前だ。郡山市内で生産されている豚なのかなと推察するが、郡山市で「麓山」と言えば中心街の麓山公園が連想される。あそこは高原ではないし、私の知る限り付近に養豚場も存在しない。だったらどこの「麓山」なのだろう。謎が謎を呼ぶネーミングだ。