2012年8月3日 ~青春18きっぷで小旅行 その4~

12時10分発の電車は、4両編成であった。上りの上野駅方面へは10両を超え、しかもグリーン車も併設されている列車が多数発着しているのに、下りはずいぶんと冷たい仕打ちを受けているなと少々憤慨。この列車はいわき行なのだからもう少し長い編成でもおかしくないと思うのだが、昼下がりだからひょっとしたらこれでも十分なのかもしれない。
結局、座席が埋まることなく、発車時刻となった。なお、座席はロングシートであり、外を眺めるには少々辛い。とりあえず、先ほど買ってきたおにぎりを頬張ると、睡魔の赴くままにうたた寝を始める。おかげで、途中の大甕(おおみか)駅で接続し2005年に廃止された日立電鉄線の路線跡を確認することすらかなわなかった。
目が覚めると、高萩駅に停車するところであった。
日立市内からいわき市勿来あたりまでは、常磐線は海に近い所を通っている。東日本大震災津波の被害を受けた海だ。
今この海がどのようになっているのかを見たいと思い、高萩駅の二つ先の磯原駅で下車してみる。
磯原は、「七つの子」「シャボン玉」「赤い靴」など多くの童謡の作詞を手掛けた詩人・野口雨情の出身地。列車を降りると、「七つの子」のメロディーが流れてきた。駅舎内にもまたこれらの曲の歌詞が書かれたプレートが掲げられていて、雨情が地元の人に愛されていることが強く伝わってくる。「カラスの勝手でしょ~」という替え歌に爆笑していた子供の頃を思い出し、赤面する。
駅から1キロほど北の海岸沿いに雨情の生家が残されているというので、足を運んでみる。
駅のすぐそばを通っている国道6号線を進む。この沿道も津波の被害を受けたそうだが、震災から1年以上が過ぎた今ではその跡はきれいさっぱり片付いており、人々の生活も元通りになっているように感じられた。ただし、雨情の生家の屋根にはブルーシートがかぶせられていたし、生家の付近にある宿泊施設のなかには、今なお営業を再開できずにいる所もあるという。
イメージ 1
近くの海岸も訪れてみた。南北に砂浜が展開するきれいな海岸だ。あいにく霧がかかっていて遠方が見づらかったが、それもまた良しとしよう。
国道沿道と同様に海岸もまた津波の傷跡を感じることはできなかったのだが、「津波に注意!」と書かれた看板が掲げられているのが目についた。震災後に設置されたものであろうか。
イメージ 2
 
イメージ 3
海岸から国道を引き返し磯原駅に戻ったのは、14時少し前のことであった。次のいわき駅行の電車は14時05分発なので、ギリギリ間に合った格好だ。
従って、磯原の町並み自体をゆっくり眺める暇はなかったのだが、「雨情通り」と銘打ったメインストリートには空き店舗が目立ち、半ばゴーストタウン的な様相を呈していたのが非常に気になった。磯原のある北茨城市は大津、平潟など複数の町が合併してできた多極分散型都市だということは理解していたが、一応市役所所在地でもある磯原がこの体たらくでは、北茨城市自体の将来も不安に感じてしまう。
そんなことを考えながらホームでたたずんでいると、駅前広場にあるカラクリ時計から14時の時報を奏でる音がした。ここでもまたモチーフは雨情であり、「七つの子」などのメロディーが流れていた。せっかく雨情という財産があるのだから、せめて磯原だけでもこれをテコにして活性化ができないものかと思った。
イメージ 4
定刻通りに列車が到着。先ほど乗った列車とは打って変わって、今度はなんと10両編成であった。いくらなんでも長すぎる。しかも、1両につき数人程度しか乗っていない模様であった。JR東日本水戸支社には、もう少し車両運用について考えてもらいたいものである。