2013年2月19日 ~一昨年の帰宅ルートを遡る①~

東日本大震災から、間もなく2年を迎える。
この時期になると、震災翌日に仙台市中心部から桑折町の自宅まで丸一日かけて帰宅したことを思い出してしまう。
いったいどんなルートを歩いたんだっけ… 当時は歩くのに必死で周囲の景色などあまり目に入らなかったけれど、もう一度同じルートを歩いてみたく思い、今日から実行してみる。
ただし、歩くルートは、震災翌日に決行した仙台⇒桑折のルートではなく、桑折⇒仙台へと遡る形にした。あの日と全く同じルートだと、当時の記憶が生々しい形で甦ってしまうかもしれないとの懸念があったのだ。
 
朝6時、自宅を出発。まだ外は暗い。
まずは国道4号線に出、ひたすら北上。一昨年は4車線化の工事が進捗中だったが、現在は国見町との境界近くまで4車線化が完成している。歩道もきちんと整備され、歩きやすい。
途中「仙台 64キロ」という標識に遭遇する。こうして距離を目の当たりにすると、やっぱり仙台って遠い所だなと痛感する。白石まででも19キロ… 結構遠い。
ちなみに、今日の散歩では、仙台まで一気に歩き通す訳ではなく、白石市北端の北白川駅まで歩く予定。北白川駅は白石駅から8.5キロ北東に位置しているから、一応今日だけでも27キロ以上は歩くことにはなる。
 
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国見町に入る頃には、空が白んできた。ただし、太陽は見えない。今日は曇りの予報ということで聞いている。
一昨年歩いた時には停電のため真っ暗闇の中で、町内の状況がどのようになっているのか全くわからなかった。通過車両の灯りを頼りに、まさに手探りの状態で、周囲に建築物が少ない国道をひたすら南下した記憶がある。
沿道にある国見町役場の庁舎は震災で大きく損壊し結局取り壊されてしまったのだが、そのことにも全然気がつかなかった。現在役場機能は町の中心部、藤田駅近くにある観月台文化センターへと移転しているが、いずれこの地に新庁舎が建設されることになるだろう。その日を楽しみに待ちたい。
 
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更に進むと、宮城県との境界へと至る登り勾配に差し掛かる。国道とはいえ沿道に人家は少なく、歩道が片方しか整備されていない箇所が多い。暗闇の中、クルマの通過状況を確認しつつ道路を横断したことを思い出す。
出発してから1時間20分ほどで、県境に位置する貝田駅に到着。一昨年は、この駅の待合室で、休憩がてら船岡のコンビニで買った缶チューハイを飲んだ。散歩中にアルコール類を摂取するのは固く戒めているが、この時ばかりは飲まずにはいられなかった。
小さいながらもベンチに座布団が敷かれ、無人駅ゆえ暖房こそないものの温かい雰囲気の待合室には、電車を待つお客さんが数人。ほどなくして、仙台方面への電車がやってきて、走り去って行った。
 
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宮城県に入っても、更に国道を北上。一昨年は人家が少ないということでこのルートを選んだものの、風が強く、小雪すら舞い散っている今日は、寒さばかりが身に染みる。あの日は終日晴れていたよなぁ… 忌わしい帰宅ではあったが、天候には恵まれていたことを思い出す。
越河の集落を脇目に見ながら通り過ぎると、馬牛沼へと差し掛かる。昨年の晩秋に沼干しを行った時のままになっており、水は殆どない。一昨年もそうだったろうか。記憶を辿るが全く思い出せない。
むしろこの辺りで記憶にあるのは国道の距離表示で、起点から300キロを割り込んだ表示に遭遇してはガッツポーズ、自宅から10キロ以内(帰宅から概ね294キロ)に入ったのを確認してはまたガッツポーズと、無理にでもテンションを高めようとしていたように思う。既に太陽は山の彼方へと沈んでしまい、空も暗くなりかけていた。先述の飲酒もそうだが、何か明るい材料というか、モチベーションがないと、正直やってられなかった。
 
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馬牛沼を過ぎると、斎川の宿場町。国道は宿場町の脇を通っているがこの辺りでは歩道が全くないので、奥州街道を通った。写真で見ての通り瓦屋根の旧家が多く震災直後は被害の懸念があったが、家屋の倒壊などはみられず、通行に支障はなかった。消防団の車両だけが、忙しそうに宿場町を行ったり来たりしていたような気がする。
 
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斎川の宿場町付近からは、集落と同じ斎川という名の川が流れており、白石市中心部の北側にて白石川へと注いでいる。国道へは戻らず、この川に沿って北上すると、白石蔵王駅周辺に展開する旭町、鷹巣東といった新興住宅地へと差し掛かる。
震災による家屋の被害はさしてなかったように記憶しているが、地盤の液状化現象が著しく、マンホールがあたかも出ベソのように飛び出していた(実際には地盤の方が沈下していたのだが)記憶がある。今はその辺の修復も済んでおり、震災前と変わらぬ外観。
時刻は9時半になろうとしており、付近に展開するロードサイドショップが開店準備を進めていたのが印象的だった。確かあの時、この辺りで営業していた店舗は皆無だったと思う。
 
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住宅地を出外れると急坂に差し掛かり、登りきると国道113号線と合流。更に国道を2キロほど東進すると、県道北白川停車場犬卒塔婆線との分岐点。丘陵の只中で人家も少ない一帯ではあるものの、分岐点付近ではコンビニが営業している。
このコンビニは震災翌日も営業しており、私もまたここで買い物をしている。まさに地獄に仏ではあった。
とは言うものの、店内に入ってみると食料品は既に大半が買い尽くされており、残っていたのはアルコール類やら缶コーヒーやらと、実生活にはあまり役に立たない嗜好品ばかり。それでも何か摂取せざるを得ないと思ったので、缶コーヒーと炭酸水を購入した。炭酸水はいわゆる炭酸飲料ではなく酒を割るためのものであり、その分炭酸濃度が濃く、しかも味がない。口に含んでみると激しく泡立ち、却って喉が渇く結果を招いた。
 
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県道を北白川駅方面へと向かう。長かった散歩もいよいよ最終盤となったが、これでも一昨年歩いた距離の4割程度にしかならないのだから、我ながらよく歩いたもんだなと思う。もう脹脛がパンパンだ。この2年間、あまり散歩にも行かなかったツケが、確実に回っている。
10時41分、北白川駅に到着。私が着くのを見計らっていたように、白石行の上り電車が到着するアナウンスが無人の構内に鳴り響く。次回の散歩では、この駅を起点として、最低でも岩沼駅、あわよくば名取駅まで、歩いてみようかと考えている。
 
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