2013年2月23日 ~一昨年の帰宅ルートを遡る②~

前回の散歩に引き続き、今回もまた、一昨年の3月12日(東日本大震災の翌日)に歩いて帰宅したルートを遡る。
起点は、前回の終点・北白川駅。通勤でいつも利用している桑折駅6時29分発の下り始発電車に乗ると、6時58分に着く。
駅から北へと数分歩を進めると、白石川を渡河。橋の北詰は、国道4号線との交差点だ。この辺りの国道は歩道が北側にしか設けられていないので、北白川駅方面への行き来では横断せざるを得ないのだが、国道が2車線で通行上のボトルネックになっていることもあり信号待ちが異様に長い。今日も2分近く待たされる。
一昨年に歩いた時は停電で信号が動かなかったから、なおのこと横断に難儀した。そんなことを思い出しながら歩きだす。ここから先は、岩沼市南長谷まで国道をひたすら東進する。また、途中の柴田町槻木までは、白石川も国道とつかず離れずの距離を保ちながら並行する。
 
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国道に入って数百メートルで、大河原町に入る。
先ほど国道4号線が2車線でボトルネックになっている旨を書いたが、4車線化の工事は町境付近まで進捗しており、将来的には白石市まで延伸される予定になっている。工事現場には重機類が置かれていた。土曜日の今日も作業があるのだろうか。
 
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大河原町は「町」でありながら白石市角田市をしのぎ宮城県南部を代表する商業都市として君臨しており、国道沿いには3キロほどにわたってロードサイドショップ街が展開している。写真は、ロードサイドショップ街のほぼ中ほどの風景。左手には三越の小型売店が見える。この種の売店は関東地方を中心に人口10万人前後の都市で見られるものであり、「町」への出店はかなりのレアケースと思われる。
ただし、震災直後は、これらの店舗の中で営業していた所はごくわずかだったはずだ。わずかに食料品や扱う店舗やホームセンターが被災者向けに開店し、店先には長蛇の列という風景が展開していたように記憶している。また、カーディーラーなどショーウィンドーが大きめの店舗では、ガラスが割れて破片が歩道に散乱していたような気がする。
 
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ロードサイドショップ街が一旦尽き、韮神山と白石川とに挟まれた一帯を通り抜けると、柴田町へと入る。柴田町内でも西部の船迫地区にロードサイドショップ街が展開しているのだが、中核店舗であるイオン船岡店で日用品がある程度揃ってしまうせいか、店舗数は大河原町ほど多くない。
そのイオンと国道を挟んで向かい側に、コンビニが建っている。リニューアルが行われているのか現在は閉店中だが、震災直後にも店を開けて被災者向けに商品を売りさばいていた様子を思い出す。
あの時は、私も店内に入って買い物をした。めぼしい商品は既に陳列棚から消え失せており、買えたのはシナモン入りのチョコレートにチューインガム、あと缶コーヒーと缶チューハイに留まったが、とりあえず口に入れるものが買えただけでも助かった。ある意味命の恩人だ。
命と言えば、このコンビニの近くに葬祭場が建っていて、一昨年歩いた際に葬儀を執り行っていたのをふと思い出す。停電の影響で満足な葬儀はできなかったと推察される。スタッフやご遺族の苦労に思いを巡らせる次第。
 
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更に東へと歩を進めると、柴田町東部の中心・槻木の町へと入る。白石川が阿武隈川と合流し、また奥州街道の宿場町として栄えた地域でもあるのだが、現在の槻木で目につくのは、何と言っても下の写真の右側に写っている山崎製パンの工場。 近くを通過すると、パンを焼く匂いがする。震災直後にはなかった匂いだ。
 
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槻木の町の東端で見つけた標識。岩沼まで5キロまで近づいた。
今日の散歩の終点は、最低でも岩沼駅、あわよくば名取駅までと考えていたのだが、この時点で散歩開始から2時間半が経過していることを考えると、岩沼駅で打ち止めにした方が無難なようだ。住宅が尽き、周囲の田んぼを吹き抜ける風が容赦なく我が身に当たる。寒い。
 
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岩沼市に入り、ほどなく主要地方道仙台岩沼線との交差点を左折する。ここも田んぼのど真ん中を直線的に突っ切る道路で、寒さが更に身に染みる。
2キロほど進むと、ようやく住宅地。「たけくま」というひらがなの町名が印象的な新興住宅地だ。宅地化されたのは確か2000年代に入ってからだろうか。メインストリート沿いには住宅の他にロードサイドショップも進出している。
写真は、その中核であるヨークタウン岩沼の様子。震災直後は商品を求めて数百人ほどが長蛇の列をなしていた。今は、落ち着いた佇まいを見せている。
 
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更に新興住宅地を進み、10時34分、岩沼駅に到着。福島駅方面への電車は10分ほど前に出たばかりで、暇を持て余す。
とりあえず、 先日完成したばかりの駅前広場を撮影。かつての岩沼駅前は東北本線常磐線とが分岐する要衝にしては狭小で貧相なイメージがあったのだが、立派な広場ができて風格が伴った格好だ。
撮影するのを失念してしまったのだが、駅前広場には、松尾芭蕉銅像と「おくのほど道」の紀行中に岩沼で詠んだという俳句「桜より松は二木を三月越し」の碑が建てられていた。岩沼と芭蕉との関わりは正直あまり注目していなかったのだが、仙台市ベッドタウン的性格が強くなっているとはいえ、岩沼は奥州街道陸前浜街道が分岐する宿場町、しかも竹駒神社が鎮座しておりそれなりの歴史を有する所なだけに、この種の文化遺産は探せばまだまだ出てくるのではなかろうか。
 
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