2015年2月15日 ~福島市・伊達市の高校めぐり② 桜の聖母学院高校、福島成蹊高校、福島東稜高校、学法福島高校~

前回の散歩から、1週間以上が経過した。これ以上間隔が空いてしまうとせっかく取り戻しつつある散歩の感覚が薄れてしまうので、今日は何としても出掛けたいと思う。外はあいにく前夜からの雪。しかも自宅周辺は数センチほど積もっており外出を躊躇したくなるほどであったが、数年前はこれより酷い天候の時だって歩いていたし、天気予報でも日中は晴れるとのことだったので、出発強行。桑折駅7時45分発の上り電車に乗りこんだ。
前回の日記でも少し触れたが、今回訪れる高校は、桜の聖母学院、福島成蹊、福島東稜、学法福島の、福島市中心部に所在する私立4校。恐らく併願ということになると思うが上の子が受験する可能性があるだけに、通学路や学校の様子など、目を凝らしてウォッチングしていきたいと思う。
しまった、前言撤回。桜の聖母学院だけは、女子高なので男子である上の子は受験不可。所在地的にも他の3校が福島駅の東側にあるのに対し、ここだけが西側の野田町にポツンと建っている。まずはここからやっつけよう。福島駅のホームに7時59分に到着した電車を降り、西口の改札口を出る。
まずは、西口の駅前広場からまっすぐ伸びる高湯街道(主要地方道福島吾妻裏磐梯線)をひたすら直進。雪はまだ舞っており、加えて吾妻山からの寒風が直接吹き付けるので、体感温度はかなり寒い。ところが外気温はさほど低くはないようで、行き交う歩行者や自転車の跡で歩道の残雪が溶けかかっていたりする。歩を進めるたびにビシャビシャと音がする。そのうち靴の中も濡れてしまうのだろう。
15分ほど歩き、野田町5丁目に入ったところで交差点を右折。歩道のない道路をしばらく歩くと、桜の聖母学院高校に到着。名前から想像されるようにキリスト教(カトリック)系の学校で、正門前では雪をかぶったマリア様の像がお出迎え。この校舎は中高併設だが前の日記でも触れたように学校法人としては福島市役所の近くに幼稚園(3年過程)、小学校、短大を併設しているため、女子であれば17年間もの間この学校法人に在籍することが可能だ。そのおかげかどうかはわからないが、福島市内では「桜の聖母=お嬢様学校」というイメージで、長年捉えられてきた感がある。
偏差値面でも福島市近辺の私立女子高ではトップの座を長年保っていたのだが、最近では福島成蹊高校の躍進が著しく、その座を脅かされつつあるようだ。次はその福島成蹊高校へと足を運ぼうかと思う。両校間の距離は福島駅の東西に跨るから結構離れているのだが、桜の聖母学院高校のすぐ近くを通る県道庭坂福島線と福島成蹊高校の正門前を通過する国道114号線の間は都市計画道路腰浜町町庭坂線として大半の区間が4車線化された幹線道路となっているので、移動自体は意外にスムーズだ。ただ、特に野田町界隈では一昨年の8月に開通したばかりとあってか車も人も通行量が多くなく、歩道の雪も溶けずに積もりっぱなしで、少々歩きづらかった。なお、歩道の雪と格闘(?)している間に降雪の方は収まった模様だ。
腰浜町町庭坂線を30分ほど東進すると、福島成蹊高校の正門前に到着。なんと驚いたことに男子学生が歩道の雪かきに精を出していた。羽織っていたジャンパーの絵柄から推察するに、バスケ部員らしい。私が通り過ぎると「おはようございます」などと挨拶してくる。感心だ。福島成蹊高校に対する好感度が、ワンランクアップした。その目で校舎を見やると、なんとなく新しくて立派で、今の福島市内の私立高校では一番勢いがある学校だな…と感じる。
ところが、かつて福島成蹊女子高校と呼ばれていた頃の同校は、ヤンキーが多く、荒れた校風だったらしい。変わり始めたのは2004年に特別進学コースが男女共学化されてから(同時に校名からも「女子」の名が消えた)のこと。優秀な男子学生が入学するとつられるように女子の進学実績も向上し、更には特別進学コースではない普通コース(こちらの共学化は2007年に実施)の偏差値まで向上するという循環を招くに至ったそうだ。更に2009年には附属中学校まで設立し、偏差値面でも一貫教育の面でも桜の聖母学院のライバルとして並び立つに至った次第。
ちなみに、附属中学校は、高校から北東に500メートルほど離れた所に所在する、せっかくなので、こちらの校舎の前も通り、そのまま北へと進む。沿道は閑静な住宅地だが、少し遠くに目をやると、右手には阿武隈川の堤防、左手には福島競馬場の大きなスタンドが見える。そのうち沿道の景観も変化し、右手には福島市下水処理場、左手には福島交通の車庫が登場する。一気に生活の気配が消えた。こういう景色は正直苦手なので、適当な曲がり角を見つけて左折する。
ところが曲がった先の道路もまた福島競馬場の敷地の北端にかかっていたらしく、刑務所を想起させるような高い塀が沿道に迫り、しかも福島交通の車庫を発着する路線バスや高速バスの回送車両が頻繁に行き来するから、なんとなく落ち着かない。歩く速度も自然と速くなる。
ようやく競馬場の敷地から脱出すると奥州街道(旧電車通り)、更には国道4号線との交差点。右手には福島赤十字病院の緑色の建物が見えている。国道を横切り、更に直進すると今度は左手に福島市音楽堂の建物、更に正面には信夫山とその麓を流れる祓川の親水空間が見えてきた。ついさっきまでの殺風景さとは一変しここは文教地区ムード満点の一角である。
ここで方向転換し、祓川の親水空間に沿って西へと進むと、本日第三の訪問先となる福島東稜高校に到着。ただし、校門、校舎共に信夫山の斜面を少し登った所に位置しているため、そこまでは歩かない。あくまで麓から、特徴的な円形の校舎を見上げるのみだ。
福島東稜高校もまた福島成蹊高校と同じくかつては女子高で、緑ヶ丘高校という名前であった(1997年校名変更、1999年共学化)。昔も今も偏差値はあまり高くはないものの、福島成蹊高校と同じように進学校として生まれ変わる道は歩まず、専門学校への進学や就職などを目指す職業教育に力を入れている様子。なお、同校では卒業後も更に2年間学ぶと看護師国家試験の受験資格が得られる看護専攻科を併設しており、このコースへの志望者も多いようだ。
更に親水空間沿いを西進し、福島県文化センターの前を通過すると、前方には本日最後の訪問校・学法福島高校(正式名称は松韻学園福島高校)の校舎が見えてくる。先に訪れた3校とは異なり、こちらは旧男子校(1998年共学化)。長年福島市内では唯一の私立男子校であったため進学系や実業系の公立高校の滑り止めとして機能してきた経緯があり、現在は普通科の名称にまとめられているものの特別進学、私立文系(以上進学系)、実務選択(実業系)の3コースが併存している。なお、昨年3月に廃校となった南相馬市の松栄高校は同校と学校法人を一とする兄弟校であった。
そんな総合スーパーのような高校だから生徒数も多いのだろうと思いきや、以前はそうだったようだが今はそうでもないらしい。一応募集定員ベースで調べてみたところ、今日訪れた4校のうち最も多いのは福島成蹊であり、次いで福島東稜、学法福島、桜の聖母学院の順であった。大学への進学志望の生徒は福島成蹊高校、工業系の生徒は高校野球の全国的な強豪校で知名度急上昇中である伊達市聖光学院高校というライバルが存在するため、ポテンシャルが活かされないというか、逆に強みをどこで発揮したら良いのか、暗中模索の状況なのかもしれない。
さて、これで4校を訪問し終えたので、帰途につくことししよう。学法福島高校からならば20分も歩けば福島駅に着くのだが、次回の散歩の行程も考えて、一気に南福島駅まで歩くことにした。次回は南福島駅の近くにある福島明成高校(旧・福島農蚕高校)を皮切りに、福島工業高校、福島商業高校と実業系高校3校を訪れる予定を立てている。
学法福島高校のすぐ西側に、前回の散歩でもその前を通過した福島テレビの社屋がある。そこから南へとまっすぐ伸びている道路を、ひたすら南下。この道路の沿道は福島テレビ近辺では多少古びた住宅や商店が並んでいるものの、1キロ弱南下すると福島市の目抜き通りの一つ(とは言うものの、今は人通りもあまり多くないが…)であるパセオ通りへと連なり、更に南下すると奥州街道(旧国道4号線)へと続いている。今回の散歩では前半戦で腰浜町町庭坂線という東西軸を突っ切る形になったが、フィナーレではパセオ通り~奥州街道という(かつての)南北軸を突っ切るというコース取りの妙となる。9時30分過ぎに福島テレビの前を出、ひたすら南を目指すこと50分で、南福島駅付近の商店街へと到着。駅舎は、商店街から右折して3、4分の所にある。
南福島駅から電車に乗るのはかなり久しぶりのことで、私の記憶が正しければ2011年の7月以来だったと思う。1962年に駅が設置された当時から変わらない、小さくて古びた駅舎。いい加減、建て替えて欲しいものである。隣の山形県では昨年4~6月に実施されたデスティネーションキャンペーンにあわせて西米沢(米坂線)、羽前小松(米坂線)、古口(陸羽西線)といったローカル線の小駅の駅舎が改築されたと聞くのだが、今年4月から同じくデスティネーションキャンペーンが開催される福島県では、湯本駅(常磐線)が改築する他福島駅でも東口駅舎の外観の塗色を変えるという話があるものの、これ以上はその手の話題が伝わってこない。南福島駅だってちょっと足を伸ばせば大森城山公園や共楽公園といった花見スポットがあるのだが、そこへのアクセスに駅を活用し玄関口としての駅舎を整備するという考えが欠如している点には、少々ガッカリしてしまう。