2015年3月8日 ~福島市・伊達市の高校めぐり③ 福島明成高校、福島工業高校、福島商業高校~

休日になると何故か所用や悪天候が重なってしまい。前回の散歩から3週間も経ってしまった。さすがにここで歩かないと、まずいなと思う。今日の天候もまた予報ではあまり良くないとのことだったが、半ば強引に出発することにした。
桑折駅7時45分発の電車に乗り、前回の散歩の終点だった南福島駅に8時15分着。今回はここから、農業系高校の福島明成高校を皮切りに、福島工業高校、福島商業高校と、福島市内に点在する実業系公立高校3校を、まとめて来訪しようかと思う。
福島明成高校は、南福島駅の西側にある。駅舎が東側にあるのでいわゆる駅裏だが、南側にあるアンダーパスを通って駅から徒歩8分程度で到着。今日は日曜日なので授業は行われていないが部活に向かう生徒がおり、私と同じ電車を降り歩いたり、学校のウインドブレーカーを羽織って自転車に跨っていたりと、学校周辺には同校の生徒が数名見受けられた。
周辺は現在は住宅地となっているが、当時は福島農蚕高校と呼ばれていた同校がこの地に移転してきた1970年前後は一面の水田、あるいは果樹園だったのだろう。学校の敷地はかなり広く、しかも専用のビニールハウスや果樹園も完備ときている。また、同校の設立は1896年であり、福島市周辺に現存する高校の中では最も歴史が古く、農家の後継者が通う学校として長年機能してきた経緯がある。
とは言うものの、農業系の高校ということもあってか、専業農家が少なくなった1980年代から1990年代にかけては福島市周辺ではいわゆる底辺校として認識されており、1990年代に私が大学生だった頃も、南福島駅のホームで屯する同校の生徒とおぼしきヤンキーをちょくちょく見かけたものである。ただ、1997年に学科再編とともに現在の校名に改称して以降は、徐々に偏差値も上昇し、底辺校の地位からは脱却したようである。
福島明成高校の敷地を過ぎてもそのまま西進し、大森の町へと出る。戦国時代の城下町がベースになっている町並みだけあって、他の近郊住宅地には見られない趣というか歴史の匂いを感じるものの、残念ながらそれが町づくりに十分に生かされているとは言えないようにも思う。同じことは、奥州街道の宿場町がルーツである瀬上や松川(八丁目)にも言えるかもしれない。
大森からは、大森街道(県道福島水原線)を歩いて福島市中心部に出るか、それとも遠回りして福島西道路を歩くか少々迷ったが、3週間ぶりの散歩ということもあり、後者を選択。なお、福島西道路は、現在は大森が南端。将来的は南に延伸し国道4号線と接続する計画があるものの、工事はおろか家屋の立ち退きも進んでいない模様だった。
大森から荒川を渡るまでの3キロほどは沿道にロードサイドショップどころか住宅すら張り付いておらずせっかくの4車線道路が活かされていない観がある福島西道路であるが、荒川から北は一変。沿道にはロードサイドショップをはじめ商店や住宅が立ち並び、しかも線だけではなく面的に整理されている。福島市の郊外住宅地というと狭くクネクネとまがった道路に沿って住宅が野放図に張り付く光景が結構多いのだったが、ここは別格だ。
沿道の風景に見入ってしまい高校探訪という本来の目的を忘れかけてしまうほどだが、奥羽本線(山形新幹線)と立体交差して1キロほど先にあるコープマートの所で右折。これが次の訪問先である福島工業高校への近道になるのだが、沿道はいかにも先ほど書いた福島市の郊外住宅地。道路こそ直線的だったものの幅は狭く、車の離合にも一苦労といった風情。そんな風景が1キロほど続き、飯坂街道(主要地方道福島飯坂線)や信夫山が近づくと、福島工業高校の敷地に差し掛かる。同校は1948年開校と福島市内の高校の中では比較的新しく、だからこそ中心部から少し離れた場所に設置されたのだろうが、その割には校庭が狭い。私が通りがかった時には野球部が練習していたが他の部活が練習できそうなスペースはなく、恐らく各部がローテーションで校庭を利用する形になっているものと推察される。ちなみに、サッカー部は福島県内でも屈指の強豪校。
また、同校は福島高校の略称である「福高」との混同を避けるために「県工」と呼ばれることが多いのだが、校舎に掲げられた校章には「福工」の文字が書かれていたことも、印象に残った。校庭といい校名といい、なにかと制約が伴う学校のように感じられた。
さて、残るは福島商業高校を残すのみ。同校は、福島市北部、松川の北岸に位置する丸子(まりこ)に所在する。福島工業高校からの直線距離はさほどでもないのだが、直線的に結ぶ道路などないから、ジグザグルートを強いられる。飯坂街道を渡って裏道に入り、福島交通飯坂線をアンダークロス、間髪入れずに東北本線の踏切を渡って信夫山の北側に出、これまたいかにも福島市の郊外住宅地然とした一角を通り抜けて国道13号へとたどり着く。ここからは国道13号線をしばらく北進し、松川を渡河。すぐ北側にある交差点を右折する。右折した道路は市道だが地元では「福商通り」という愛称されている。福島市の郊外でこのような愛称がついている道路は非常に珍しい。
この福商通り、現在は沿道に住宅が張り付いているものの、30年ほど前までは田畑が広がっていたと耳にする。福島商業高校は1971年まで福島市中心部の霞町に所在していただけに、霞町で学んだ年配のOBからは「こんな辺鄙な所に移転するとは…」と嘆く声も少なくなかったとのこと。
考えてみれば、今回の散歩で来訪した学校のうち、福島明成、福島商業の両校は、1960年代までは福島市中心部に所在していた。当時は福島大学福島県立医科大学のキャンパスも福島市中心部にあったから、福島市は、通学面に関しては絵にかいたようなコンパクトシティだったということになる。高校や大学の郊外移転は都市が成長を続けていた時代の必然という側面があったとはいえ、成長しきれずに停滞を続けている現在の福島市中心部を見ると、若干もったいないなという気持ちがなくもない。
福島商業高校は、国道13号線の交差点から東へ1キロ強の所にある。ちなみに国道4号線の交差点からも西に1キロほどの地点に位置しており、確かに辺鄙というか、ちょっと足を運びづらい感がある。が、実は東北本線東福島駅から徒歩25分程度、阿武隈急行卸町駅から徒歩15分程度と意外に近かったりする。ただ、駅からの近道はこれまた車の離合が難しい隘路だったりするのだが。
福島商業高校と両駅との中間には、福島市中央卸売市場や卸売団地が所在する。商業高校とこれらの施設がどれほど関連が強いのかはわからないが、高校~卸売関連施設~商業高校が一つのラインで結ばれれば地域全体にとっても何かしらのプラス効果はあるように思う。道路の拡張はできないものだろうか。
そんなことを思いながら東福島駅に着いたのは、10時53分のことであった。散歩を開始してから2時間半以上が経過している。遠回りした甲斐があったというものだ。次回はこの駅を起点に、福島市内の高校で唯一の未訪問校となった福島北高校をはじめ、伊達市内の高校にも乗りこんでいきたいと考えている。