2012年3月8日 ~西田町を歩いてみたら~

前回の散歩は中三日。12月、1月と殆ど散歩に出られなかったブランクを取り戻せるかなと思ったら、また半月以上間が開いてしまった。歩けなかった理由は天候の影響だったり私用が入ったためだったり様々だったが、あまりにもブランクが長くなるとやる気がうせかねない。だから「今日は何が何でも歩くんだ」という気構えで、数日前から心の準備をしていた。
その甲斐あって、今朝は午前4時半にバッチリ起床。軽い朝食を摂ってから、桑折駅5時41分発の上り始発電車に乗車した。
 
今日は、三春駅を起点に、小和滝橋、鬼生田(おにうだ)橋、阿武隈橋と、郡山市内に未踏のまま残っている阿武隈川の橋をすべて制覇する予定を立てている。経由地の大半は、郡山市北東部の西田町。前回の散歩で掠めるように通ったものの、本格的に歩くのは初めての地域。それだけに、期待と不安が入り混じる。
6時53分着の郡山駅で、7時00分発の磐越東線の列車に乗り換える。磐越東線の車内というと以前うるさい高校生に辟易させられた記憶が頭をよぎるが、今日は県立高校のⅡ期選抜の実施日だから高校の授業は休み。だから車内も静かなものであった。
7時13分、三春駅着。ここから主要地方道本宮三春線を1キロ弱北上した後、県道三春日和田線へと分け入る。歩道もセンターラインも整備されておらず、クルマの通行も少ない道であった。沿道の風景は軽いアップダウンが続く丘陵ばかりで、眺望もきかない。体力づくりの点では悪くないが、景色を堪能するにはいささか退屈な行程である。
2キロほど進むと、三春駒や三春張子を生産する旧家が建ち並ぶ高柴デコ屋敷へと至る道が分岐する。県道から外れるが、往復15分ぐらいで一通り見て回れそうなので、ちょっと寄り道。日中は観光客で賑わうデコ屋敷だが、訪れた時にはまだ8時にもなっていないということもあり、観光客などなくひっそりとしたもの。
だから、妙なところに関心が行ってしまう。例えば、各家の苗字を見ると殆どが橋本姓で、それ以外の苗字を見つけるのが難しい点とか。橋本姓は福島県内でベスト10に入るほど人数の多い苗字(佐藤、鈴木、渡辺、斎藤、遠藤、菅野(かんの)、高橋、吉田、渡部(わたなべ)、橋本の順らしい)だが、その大半は郡山市を中心とした中通り中部に集中しているように思う。余談を更に続けると、鈴木姓は白河市周辺、菅野姓は中通り北部、渡部姓は会津地方で目立つような気がする。県内で人数が多い苗字といっても地域性はあるもののようだ。
再び県道に戻り西へと歩を進めると、三町目の集落に出る。郡山市の行政センターやJAの支店、郵便局などが集中する西田町の中心地でもあるが、人口4,000人強を擁する西田町の規模に比して、やや小さめの集落のようにも思う。西田町には小学校が5ヶ所もあるから、コミュニティが分散しているのであろうか。郡山市では2005年に西田町と同規模の人口を擁する湖南町で小学校の統合を行ったが、ひょっとしたら近い将来、西田町でも同様の施策が採られるかもしれない。もっとも、集落の西外れにある三町目小学校の校門には「明治八年二月十八日開校」と大書された銅板が誇らしげに掲げられていたから、統合話など持ち出したら紛糾しそうな予感はするのだが。
集落を過ぎてほどなくすると、県道は主要地方道二本松金屋線に合流。この道路を500メートルほど南下すると、本日一つ目の橋である小和滝橋の袂へと出る。1885年に最初の架橋が行われたとのことで、現在の橋は1997年に架けられた4代目の橋。なお、橋のすぐ南側には磐越自動車道の橋も架かっている。
橋を渡った先は、日和田町八丁目。先ほど三町目の集落を通過したから他にも「町目」や「丁目」のつく地名がないかと思いかけたが、どうやら見当たらない模様。他の数字がないと何となく消化不良な気分になる。
八丁目からは、阿武隈川に沿う形で北上する。高柴近辺と同様に丘陵ばかりで眺望がきかないが、丘陵の上部にも田んぼが開かれている点が、高柴とは異なる。畝状に広がる土地がことごとく田んぼになっているのは、安積疏水がもたらした恵みと言えるだろうか。
総合南東北病院福祉センターの脇を通り過ぎると、右手前方に次に渡る鬼生田橋が姿を表す。道路自体は2車線が確保されておりそれなりに立派だが、歩道が整備されておらずちょっとガッカリ。通過するクルマに気を配りながら端っこをソロソロと渡る。
なお、鬼生田橋の欄干には、ダルマのような風貌のモニュメントがあった。ダルマにしては目つきが悪いようにも見受けられたから、ひょっとしたら鬼の類かもしれない。なんでも、鬼生田の地名は、坂上田村麻呂に追いつめられた鬼がこの地の田んぼの中に鬼の子を捨てて逃げたという伝承に基づいてつけられたという伝承があるらしい。
橋を渡ると、再び二本松金屋線と合流。先ほどは南下したが、今度は北上する。阿武隈川の近くを通っているはずだが、妙にアップダウンがあるようにも感じる。
そして、何度目かの坂を下りきると、前方に東北新幹線の高架橋が登場する。阿武隈川がどのように流れていようが委細構わず直進しているので、この界隈から二本松市にかけては阿武隈川の東岸を縦貫しているのだ。700メートルほどほぼ並行する形で北上したが、その間に上下2本ずつ列車が通過した。忙しい路線だな、と思う。
左手前方に目をやると、阿武隈川の堤防とともに、阿武隈橋が姿を現す。いよいよ郡山市最後の橋だと思うと感慨深いものがあるが、橋自体はセンターラインも歩道もなく、しかもコンクリート舗装という若干古臭い雰囲気だ。
橋を渡った先は奥州街道の宿場町・高倉で、街道の後身となる県道355号線(須賀川二本松線)まで1.6キロとの表示が見られる。今日はこの高倉の至近距離にある五百川駅をゴールにしたいと考えている。
またもや登場する軽いアップダウンを越えると、高倉の集落が見えてくる。これまで奥州街道を何度も歩いていたから見知った集落というイメージがあったのだが、アプローチを変えてみると全く違った集落に見えてくるから不思議なものだ。
そして、集落の前方遠くには、五百川や東北本線の線路、そして安達太良山がきれいに見渡せる。次回の散歩では、この安達太良山の方向へと歩を進める予定だ。できれば近いうちに。