2012年3月29日 ~福島市南部縦貫~

今回の散歩から、写真を掲載することにいたしました。
ただし、内容はいささかマニアックなものになるかと思います(笑)
 
さて、前回の散歩で松川駅まで到達したので、今回は福島市南部を縦貫し、福島駅まで歩こうかと考えている。
ちなみに次回の散歩は福島駅から桑折町の自宅まで歩き、次々回の散歩から新しい企画を始める予定を立てている。
今回のルートは、できる限り「福島市南部でまだ散歩に訪れていない地域」を歩くことにした。結果、前半は美郷ガーデンシティ、蓬莱、桜台、南福島ニュータウンと、分譲住宅地ばかりを巡る行程になり、後半は阿武隈川の西岸に沿って北上した後、南町で奥州街道に出て信夫橋を渡り福島市中心部に至るという行程になった。
いつものように、桑折駅5時41分発の上り始発電車に乗り、6時20分に松川駅着。ここからしばらくは、松川の中心地である奥州街道八丁目宿方面に向けて、主要地方道土湯温泉線を西進する。
沿道には北芝電機の工場や関連施設が目立つが、それ以外にも、下の写真で紹介するような、方言を交えたユーモラスなコメントが書かれた木の看板をよく見かける。この種の看板は松川を中心に福島市南部から二本松市(旧安達町)北部の広い範囲で見られ、この一帯の個性を演出する存在となっているように感じる。
 イメージ 1
松川駅から1.5キロほど進むと、郵便局や駐在所、病院やAコープの店舗など、松川町の中核となる施設が集中する一帯に出る。松川駅と八丁目宿との中間点からやや八丁目宿寄りといった地点だが、この辺りから右へ分岐する坂道を登っていくと、美郷ガーデンシティへと出る。開発されたのは1990年代だったろうか。比較的新しめの一戸建てが軒を連ねる街並みだ。街路樹や公園は整備されているものの、商店は皆無。もっとも、先ほどAコープのそばを通ったし、八丁目宿にもコンビニや個人商店がそれなりに立地しているから、住民が日常の買い物で不便を感じる機会はそう多くはないだろう。また、美郷ガーデンシティには、バス路線も通っている。もっとも、平日6往復、土日祝日5往復に留まっているから、閑散線区ではある。松川駅からは多少離れているし、クルマがないと若干不便かもしれない。
バス通りに沿って北上すると、住宅地の外れに、東北本線を大跨ぎする陸橋が登場する。1949年に発生した松川事件の現場の至近にあり、陸橋を渡った先には記念塔と小公園がある。
ここから先は丘陵の中を進むことになるが、右手にロング・ライフという老人ホームがあるのが妙に目立つ。この施設、以前はロングライフハイムと呼んでいたらしく、施設の前に同名のバス停が存在する。バス停の標識を見て、一瞬噴いた。アルファベット表記が「RONGURAIFUHAIMU」となっているのである。本来の表記は「LONG LIFE HEIM」~日本語とドイツ語のチャンポンというのも妙だが、それはまず置いといて~のはずなのだが。
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更に進むと、国道4号線に合流する。バス路線が国道4号線福島県立医科大学というルートを通っているので、私もこれに沿って進むことにする。国道の歩道には街路樹が設けられているが、枝がきれいに取り払われており、若干不気味な様相を呈している。枝の成長に伴う車道の視界不良、落ち葉による住民生活への負担、木々の成長に伴う歩道の舗装劣化などの事情により、この手の措置をされるケースは少なくないようだ。街路樹とて生き物。ただ植えるだけではなく育てる手間を惜しまないと、このような惨い末路が待っていると言えよう。
右手の丘陵上に福島県立医科大学のキャンパスや附属病院が見えてきたところで国道から離れ、4車線の道を登る。時計の針は既に7時を回っており、行き交うクルマも少なくない。大学へと向かうクルマが多いようだ。教授、学生、医師、患者、お見舞い… 目的は様々であろうが、クルマが重宝される傾向にあるようだ。路線バスも走っており本数も多いのだが、大学での実習が深夜に及ぶことが少なくないせいか、大学関係者の通勤、通学手段はクルマに頼ってしまうようだ。そもそも、このキャンパスは1988年まで福島市中心部にあったのだが、どうしてこんな場所に移転してしまったのだろう。金谷川駅前にキャンパスを設けた福島大学のように東北本線沿いに移転すれば幾分マシだったろうに、と思う。
ところが、昨年の福島第一原発事故を受けてキャンパスや付属病院は更に拡大され、被曝医療の拠点とすべく、330床のガン病棟の新設や、新薬開発などが行われる予定だという。今回の原発事故では放射性物質の飛散に伴いガンなどの晩発性障害が起こる可能性は極めて低いと見積もられているはずなのに、ずいぶん過剰な投資だと思う。病棟を持て余すことになりはしないだろうか。あるいは病棟を無理に埋めようとして、周辺の病院から入院患者が消える「民業圧迫」の結果をもたらさないだろうか。また、現時点で薬学部が存在しない福島県立医科大学で果たして新薬開発など可能なのだろうか。疑問点をあげればキリがない。
その名も「医大大橋」という名の陸橋を渡ると、蓬莱の街並みに入る。と言っても、今回の散歩では福島市役所蓬莱支所などが所在する住宅街の中心部は通らず、南東部の蓬莱町六丁目から八丁目にかけて歩くことにする。
六丁目の通りを歩いて、愕然とする。
なんとここでも、枝の取り払われている街路樹が展開しているではないか。
その様子を、下の写真に載せてみた。ちょっとわかりにくいかもしれないが、樹種は白樺で、幹の白さが不気味さを倍加させる結果となっているのを、付け加えておこう。
イメージ 2
更に住宅地を進むと、左手にパンダハウスという施設が登場する。福島県立医科大学付属病院に入院している子供やその家族の滞在を目的として建てられた施設だが、ボランティアの寄付で支えられていることから財政難に陥っているとのこと。福島県立医科大学の諸施設を拡充する予算があるのならば、パンダハウスにも支援の手を回して欲しいと思う。
パンダハウスの少し先で住宅地が尽き、田畑と丘陵が展開する風景の中へと入る。蓬莱から桜台、南福島ニュータウンを経て福島駅方面へと至るバス通りがあるので、これに沿って北上する。この辺りの大字名は田沢というのだが、沿道に「田澤集會所」と旧字体で書かれた施設を見かけた。ワープロやパソコンの普及も相俟ってかここ25年ほどで「澤」「濱」「廣」などの旧字体を使用した苗字が復権を果たしつつあるが、考えてみると、「金沢」「横浜」「広島」といった地名は、かつては「金澤」「横濱」「廣島」だったはずなのだが、新字体のままで特に違和感を持たれないまま今に至っている感がある。だから、「田澤」の看板に妙な新鮮味を感じた次第。
再び丘陵を上って、桜台、南福島ニュータウンへと進む。これらの住宅地のすぐ西側に位置するあさひ台団地は東日本大震災で大規模な土砂崩れに見舞われたが、こちらの方は、特に大きな被害はないようだ。
が、南福島ニュータウンでは、本日三度目の、枝の取り払われた街路樹。しかも、国道4号線や蓬莱に比べて明らかに若い樹木が犠牲になっている。ちょっと酷いと思う。
酷いと言えば、南福島ニュータウンに住む子供の居住環境も相当なものである。片道約2キロ、南福島駅の近くにある杉妻(すぎのめ)小学校まで、つづら折りの細道を毎日降り登りして通学しなければならないのだ。下の写真は、その通学路から見た、福島市街の様子。またもやわかりづらい写真で申し訳ないが、右端をクネクネ曲がりながら写っているのが通学路、左端に写っている太い道路が国道4号線である。
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 坂を下りきると黒岩虚空蔵尊(満勝寺)やその門前町の様相を呈している上ノ町の集落があり、更に進むと、阿武隈川にかかる逢隈橋の袂へと出る。逢隈橋から西へと延びている都市計画道路・小倉寺大森線沿いには、ロードサイドショップが多い。先ほど通った桜台や南福島ニュータウン、あるいは逢隈橋対岸の丘陵上に開発された住宅地・南向台は商業施設が殆どないから、この辺りまで買い物に行く住民も少なくないだろうと思う。美郷ガーデンシティとは対照的なロケーションと言えよう。
逢隈橋の西詰から、北へとまっすぐ延びる道へと分け入る。歩道やセンターラインも備わった、比較的整備された道だ。地元では、鳥谷野街道と呼んでいるらしい。確かに地図を見ると、奥州街道、荒川に架かる信夫橋の南詰から阿武隈川の西岸伝いに緩いカーブを描きながら街道名ともなった鳥谷野を経由し、逢隈橋の袂へと至っている。沿道の建物には結構古いものも多く、鳥谷野街道が比較的古い時期からあったことを物語ってくれる。鳥谷野街道は、逢隈橋とセットで福島市と川俣町、果ては双葉郡とを結ぶルートを形成していたのではなかろうかと妄想してみるが、右手を見ると旧国道114号線とこれに沿って建ち並ぶ家並みが展開している。「隣の芝生は青く見える」ではないが、対岸と見比べると、鳥谷野街道はどうにも分が悪そうにも感じた。
国道4号線濁川を渡り、福島第一中学校の脇を通り抜けると、奥州街道に合流。すぐ北側に、信夫橋がある。ようやく福島市中心部だ。柳町、荒町、中町と商店街を通り抜けて、平和通りへと出る。この時点で、松川駅を出発してから3時間が経過した。
西側を見ると、あづま陸橋の手前に、平和通りと信夫通りとの交差点がある。「秋田市 304キロ」の道路標識を見つけ、失礼とは思いつつ失笑。平和通り、信夫通り共に国道13号線であり、起点が福島市舟場町、終点が秋田市茨島(ばらしま)という関係には確かにあるのだが、福島市から秋田市までこの国道を304キロも走り通すドライバーなど、殆どいないだろう。
高速道路網の発展に伴い、太平洋側の県を縦貫する東北自動車道が脊梁の役割を果たす一方で、国道13号線沿いの山形市秋田市は、東北自動車道から分岐する山形、秋田の両自動車道への依存度を高める結果となってしまった。結果、福島市と「出羽」との精神的な距離感も離れたと思われるのだが、現在整備が急ピッチで進んでいる東北中央自動車道は、その距離感を多少なりとも埋めることができるのであろうか。今後に要注目と言えるだろう。
さて、今回の散歩も、いよいよフィナーレ。駅前通りのアーケードを歩く。
訪れる度に、駅前通りは商店街から飲み屋街に変化しつつあり、しかも大手のチェーン店がこぞって進出している感が強い。新旧店舗の対比表を簡単に作ってみると、
 
旧博向堂書店…いろはにほへと
旧ゼビオアプタ…笑笑
旧魚勝石見屋…なか卯
旧パーラーにしき…つぼ八
 
こんな具合。
しかも、これに加えて、エンドーチェーンや岩瀬書店、コルニエツタヤの旧店舗が取り壊されているから、商店街としては壊滅状態と言ってよいかもしれない。先ほど少し触れた秋田市もまた中心商店街だった広小路が見るも無残な状況になりなんと商店街振興組合が解散するという事態を招いているのだが、こんな所でお付き合いしなくてもいいのに…と溜息をついてしまう。
ついでに言えば、福島市の飲み屋街は、元々駅前通りの北側の、吾妻通り・中央通り沿いに展開していたはずだが、そちらの方はどうなってしまうのだろう。人口流出で更に少なくなることが濃厚なパイの奪い合いとなるならば、資本力に勝る店舗が集中する駅前通りに軍配が上がるような気がする。そして、福島市の中心街は、また一段と規模を縮小させ、かつ魅力の乏しいものになってしまうのだろうか… 原発事故の影響もあってか、想像が良い方向になかなか向かってくれない。困ったものである。
9時半ジャストに、福島駅到着。
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