2012年4月17日 ~新企画は郵便局巡り(3) 福島東局・富成局(後半)~

月の輪大橋を渡ってほどなくすると、飯坂保原線は保原街道(主要地方道福島保原線)に合流する。
写真は、合流点直前に設置された標識の様子。保原街道は県道4号線だということを、ここで初めて知る。左折した先が「伊達」と書かれているが、同じ伊達市の旧伊達町を経由する国道4号線と誤認されかねない標識のような気がする。 右折した先は「(福島)市内岡部」と細かく書かれているのだから、左折した先も「伊達市保原」あるいは「伊達市役所」と書いた方が良いのではなかろうか。
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飯坂保原線は保原街道に一旦合流し、500メートルほど南下した先の向鎌田というバス停のある辺りで再び分岐する。なお、この辺りには簡易郵便局があったはずだが、どこにあるのか見逃してしまった。
飯坂保原線は緩やかな登り坂となっており、1キロほど進むと、再び工業団地が展開している。各工場の敷地はいずれも広々とはしているが、どうしてこんな山の中に工業団地が造成されたのか理解に苦しむ部分がなくもない。
工業団地を過ぎると分水嶺に差し掛かり、伊達市保原町富成地区へと入る。分水嶺付近はちょっとした展望スポットで、福島市北部の住宅群や飯坂温泉のホテル街が見渡せる。再びスマホを取り出して写真撮影を試みるが、あいにく今日は薄曇り。全体的に霞みのかかったような空模様であり、遠方がぼやけてしまい納得のいく写真が撮影できなかった。
伊達市内の沿道風景は、福島市とは打って変わって純然たる農村風景。なだらかな丘陵上には田畑や雑木林が展開し、人家はチョボチョボといった程度。のどかな雰囲気が濃厚に漂う。
が、この辺りは、実はホットスポットでもある。伊達市ホットスポットといえば南部の霊山町月舘町がまず連想されるが、ここ富成もまた、一部の世帯が特定避難勧奨地点の指定を受けるなど、放射線被害に苦しんでいるのが現状だ。
下の写真は、沿道に設置されているモニタリングポスト。またまた撮影者の腕が悪く小数点第二位以下が読みとりづらいが、1.014μSv/hと表記されていた。原発事故から1年以上経った現時点でこの数値ということは事故直後は30μSv/h前後が記録されていたのだろうか。とにもかくにも、高い数値であることは間違いない。
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とは言うものの、沿道から垣間見える富成の子供達の様子は、平時と変わらないように見受けられた。2歳ぐらいの女の子が庭先で犬と戯れていたし、小学校の校庭では低学年の児童がボールやブランコで遊んでいた。多分、校庭や庭の除染が一早く進んでいるのだろう。そんな様子を目にするたびに、逆に子供達を守ろうとする地域の意気込みを感じた次第。
その一方で、富成の別な一面に目が行った。廃止されてからかなり年数の経つバス停の待合室の跡が、3ヶ所ほどあったのだ。小規模な新興住宅地もあるにはあったが、全体的には過疎化が進行しているようだ。保原町南部、丘陵の多い富成やその東隣の柱沢地区は都市化が進む保原町の中では取り残された感があり、奈良県ほどではないが「南北格差」が存在しているように思う。そしてそれは、伊達市の将来における「伊達、保原、梁川」対「霊山、月舘」の南北格差へも通じてしまいそうな嫌な予感さえ抱かせる。
富成郵便局の局舎もまた古い建物で、本当にこの局舎にATMが設置されているのか一瞬疑問に思ったが、入口のドアを開けると窮屈なスペースに一台だけATMがあった。本日二度目の100円入金。私の入金額は、郵便局の規模の大小に関わらず100円だ。別に格差への抵抗という意味合いを込めている訳ではないのだが。
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富成郵便局の少し先で、県道山口保原線に合流する。始めのうちは丘陵の麓をクネクネと曲がりくねっていたが、柱沢地区西部の所沢集落を過ぎると、田んぼの中を一直線に進むようになる。前方には保原の街並みが見えている。遠くから見ると、やはり大きな街だなと感じる。
富士通アイソテックなどの工場が展開する一帯を通り抜け、阿武隈急行の高架橋をアンダークロスすると、今回の終点、保原駅に到着。「塔屋のない旧伊達郡役所」をモチーフにした駅舎は、やはり目立つ。この駅舎や桑折町伊達崎から保原総合公園に移築された旧亀岡邸と、保原町には桑折町発祥の擬洋風建築が存在する。自治体の垣根を超えて伊達地方に根付いた文化を残していく姿勢は、評価して良いと思う。
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