2012年5月24日 ~新企画は郵便局巡り(9) 大張局(後半)~
交差点を直進する。
歩道やセンターラインが消え失せ元の隘路に逆戻りするが、沿道の人家は逆に増えたようだ。というか、人家があるから道幅を広げられないのかもしれない。
地域的には、耕野地区と大張郵便局がある大張地区との境界といったあたり。両地区の頭文字を採った「大耕農村広場」なるグラウンドも見られる。
大耕農村広場のすぐそばには、両地区を学区とする丸森西中学校という中学校があった。が、過疎化の波が容赦なく押し寄せた結果、惜しくも今年の3月で閉校となってしまった。丸森西中学校のみならず、町東部の金山地区にある丸森東中学校や町南東部の大内地区にある大内中学校もまた同時に閉校し、今年4月から丸森町中心部にある丸森中学校(統合と同時に丸舘中学校から改称)に統合されるに至っている。その結果、273平方キロメートルという広大な面積を誇る丸森町内にある中学校は、丸森中学校だけとなってしまった。時代の流れとはいえ、少々淋しい。
中学校跡から県道を1キロほど東進した先に、大張郵便局があった。周辺には小学校や公民館、JAの施設など、それなりに施設が揃っている。ATMで本日初、そして唯一となる入金。時計を確認すると、白石駅を出てからちょうど2時間が経過していた。
ところで、大張地区には、個人商店が存在しない。ざっと見た感じ床屋や美容室、あと小さな酒屋はあったようだが、食料品や日用品の購入には不便をきたしていた地域であった。そこで、住民有志が共同で出資し開店した店舗が、下の写真に掲載した大張物産センター・なんでもや。集落により共同出資の店舗といえば沖縄本島北端にある国頭村奥集落にある共同店あたりが想起されるが、なんでもやもまた、この手法をモチーフにしているらしい。今後も大張地区が存続する限り、地域の中核店舗として頑張って欲しいと願う次第だ。
集落を過ぎると、急な下り坂に差し掛かる。なお、道路名はいつの間にやら白石丸森線に戻っていた。集落内で合流したらしいのだが、双方隘路なので合流に気付かず通過してしまった。
これだけ両岸が急峻だと、少なくとも100年前までは、沿岸に道路や鉄道を通そうという気にはならなかったろう。福島県北部から宮城県南部にかけての阿武隈川沿岸は東北本線の敷設に伴う鉄道忌避伝説が残っているが、住民の反対云々以前に、この地形が敷設を阻む要因ではないかと思ってしまう。
一方、この地域の阿武隈川は江戸時代に舟運で栄えたという話も聞くが、これについては、十分納得できる。周囲の丘陵をものともせずに威風堂々と流れている阿武隈川。陸路よりも水路の方が優勢に立てるロケーションなのは一目瞭然だ。
このような険しい地勢を通るので国道349号線には隘路が残る状態が長らく続いていたが、白石丸森線から東側に関しては、センターラインの整備など一応のリニューアルを終えている。片倉、山田と300~400メートルほどの長さのトンネルが二つ設けられている。1995年に竣工した片倉トンネルは内部照明も明るく歩道が設けられていたので歩きやすかったのだが、1989年に竣工した山田トンネルは対照的に内部証明が暗く、側溝に蓋をしただけの狭い歩行スペースがあるのみで、結構恐怖感を覚えた。冒頭の小原の話に戻るが、やはり、歩道の整備されていないトンネルを通るのは、たとえ通過車両がなくとも、精神衛生上よろしくないと思う。
ところで、国道349号線に出たあたりから、スマホの電源状況がよろしくないようだ。片倉トンネルを出たところで残り15%、山田トンネルの先にある上山田の集落で、残り5%となってしまった。このブログに載せている写真以外にもメモ代わりにいろいろと撮影してしまったせいかもしれないと思いつつも、天然の噴水と言われる弘法の噴水など目にしてしまうと、ついついシャッターを切ってしまう悲しい性。