2014年5月26日 ~東北六魂祭直後の山形市②~

双葉町の一帯を過ぎ、城南町の住宅街を通り抜けると、山形城址霞城公園へと入る。
立派な堀に囲まれた城内には体育館や博物館が整備されている他、広々とした芝生もあって、就学前の子供が母親や保育士に連れられて遊んでいたりしていた。あと、東北六魂祭帰りとおぼしき観光客の姿も、数組見掛けた。
山形城の城主は過去何度か交替しているが、やはり最も目立つのは最上義光(よしあき)関連の遺構であり、山形市民の彼へのリスペクトぶりが強く伝わってくる。なお、天守閣は復元されていないものの、本丸一文字門(大手門)の復元工事が行われている。
 
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こちらは、山形城の東大手門。山形駅や七日町から近いため、山形城を訪れる観光客にとっては表玄関でもあり、それに相応しい美観が復元されている。奥羽本線がすぐ近くを通っており、桜の時期は電車に乗りながら城内に咲く桜を花見というオツな風景も堪能できる。
なお、この門の東側にふれあい広場というスペースがあるのだが、ここも東北六魂祭の会場のひとつとなっており、忙しそうに撤収作業が行われていた。
 
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ふれあい広場や最上義光歴史館の前を通り抜け、交差点を右折し、山形駅へと向かう。この時点で、北山形駅を出発してから1時間半以上が経過している。久しぶりの街歩きも、最後のひと踏ん張り。
ところで、今歩いている通りは「すずらん通り」だったと認識していたのだが、それらしい愛称はなかなか道路標示に出てこない。山形城寄りの一角には「公園通り」の表示が見られたものの、どこの公園のことを指すのか部外者にはさっぱりわからない。この通りといい、東北六魂祭のパレードが行われた通りといい、山形市内の道路は愛称に関してやや頓着を欠くようだ。市民の方々にはちょっと考えて欲しいところである。
なお、この通り、山形城寄りは病院の建物が目立ち、山形駅寄りは飲み屋街となっている。七日町を歩いた際繁華街にしては飲食店が少ないなと感じたのだが、なるほど、山形市内の歓楽街はここなんだと納得した次第。
 
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今や全国で唯一残っている十字屋(ただし、運営している会社は福島市中合)前の交差点を右折すると、山形駅はもう目の前。1992年の山形新幹線開通を機にステーションホテル併設の立派な駅舎にリニューアルされている。
駅前広場には、規模的には郡山と五十歩百歩ではあるが、ペデストリアンデッキが整備されていた。以前は地下歩道があった気がするのだが、リニューアルに伴い山形駅の改札口が2階に移り、駅前広場に面して建っていた(写真右側に写っている駐車場の位置にあった)ビブレが2000年頃に閉店して駅前に地下売場を有する店舗がなくなった影響もあるのだろうか。駅ビルのエスパル(この名称も、旧称のメトロプラザの方が良かったのだが…)にも、地下売場はない。
 
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最後に、東北六魂祭の幟が立ち並ぶペデストリアンデッキから、駅前の通り(主要地方道山形停車場線。この通りにも愛称が欲しいところだ)を撮影。駅と県庁を直結し交通量が多い道路でもあるが、駅から離れるにつれて緩やかな上り坂となっているため、沿道の建物が実際よりも高く感じられるのが面白い。
時間に余裕があったならば県庁まで往復してみたかったのだが、それは今後の楽しみにとっておこうと思う。
エスパルなどで時間を潰した後、山形駅11時59分発の電車で、仙台へと戻ることにする。
 
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2014年5月26日 ~東北六魂祭直後の山形市①~

今年も、5月24、25の両日に、東北六魂祭が開催された。
開催場所は山形市。被災三県以外の都市では初めての開催で、連日10万人を超える人出でたいへん賑わったとのこと。
そこで、私も東北六魂祭の余韻を味わいたく、5月26日、山形市を訪れてみた。いつも通勤で使っている桑折駅6時29分発の電車で仙台駅へと向かい、仙台駅でWきっぷを購入した後、8時15分発の仙山線の快速でいざ出発。混雑気味の車内は女子大生の比率が高く場違いな場所に紛れこんじゃったな…と少々後悔するも、彼女達は東北福祉大前や国見といった途中駅で残らず下車し、愛子(あやし)駅を過ぎるとボックス席を一人で独占できるほどの閑散とした状況に。やはり、仙台~山形間の交通機関仙山線よりも高速バスの方がメインなのだろう。
今回は、山形駅の一つ手前、9時25分着の北山形駅で下車。東北六魂祭でパレード会場となった通りや繁華街の七日町は、山形駅よりもこの駅からの方が近い。仙山線の他、奥羽本線や左沢(あてらざわ)線の列車も停まるため、ホームが6番線まである規模の大きな駅だ。
 
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北山形駅から東へ500メートル進むと、パレード会場となった通りへと差し掛かる。南北に続く4車線の太い道路だが、愛称は特にないようだ。つい最近拡張が行われたようで、アスファルトが黒々としているのが印象的だ。沿道の商店もまた、道路のリニューアルにあわせて玄関に改装を施した所が多い。
 
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通りを1キロほど南下すると、市役所を中心とした山形市の官庁・ビジネス街に入る。この界隈の中核をなす建物は、何と言っても、旧山形県庁の文翔館。県庁こそ5キロほど東に離れた松波地区に移転してしまったものの、今なお街の中核をなす風格を漂わせている。県庁ほどの建物はやはりこのぐらいの威厳がなくては…と襟を正させる佇まいだ。
なお、文翔館の構内や市役所周辺も東北六魂祭の会場となっていた模様で、周囲ではステージや幟などの後片付けが慌ただしく行われていた。
 
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文翔館の正面からまっすぐ南下する道路を500メートルほど南下すると、繁華街の七日町。この道路は現在は国道112号線となっているがかつては羽州街道であり、七日町は江戸時代においても山形の繁華街であったのだろうと想像を巡らせてみる。
時計の針は10時を指しており、多くの店が開店となる頃。人通りも地方都市にしては多め(少なくとも福島市郡山市よりは多い)だが、旅行者らしい姿が結構目立ったので、東北六魂祭目当ての観光客も相当数いるものと思われる。
七日町の道路の面白い点は、北行の一方通行であること。東北地方の都市ではあまりお目にかかれないシステムだ。かつては3車線だったように記憶しているのだが、現在は2車線に減少させた上で、1車線分を自転車の通行スペースとして活用している。全蓋アーケードの商店街を自転車が我が物顔で通り抜ける新潟市とは対照的に、歩車分離がきちんと行き届いた繁華街と言えよう。
 
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さて、せっかく羽州街道に入ったのだから、もう少し街道を堪能してみようか。七日町の後は本町(ほんちょう)、十日町と南進し、十日町の南端で右折。国道112号線は直進しているものの、どうやら右折した先の主要地方道山形白鷹線が羽州街道だったようだ。繁華街から離れているだけに街道筋らしい風景が残っているかなと期待していたのだが、八日町にある男山酒造の建物の他にはそれらしい雰囲気が感じられず、ごくごく普通の商店街であった。
八日町の西端でいかにも城下町らしいクランク(桝形と書いた方が雰囲気が出るか?)を経、奥羽本線の踏切を渡ると、その先は五日町。さっきから、七日町、十日町、八日町、五日町と、市場町起源とおぼしき町ばかり通っているような気がする。ついでに言うと、文翔館の北側には六日町、十日町の南東には三日町という町もあるから、その徹底ぶりには恐れ入る。
ただし、五日町は、商店街というよりも住宅街の雰囲気。長年駅の裏口というポジションに追いやられていたから致し方ない部分はあるのだが、対照的に、その北側、山形駅の西口にあたる双葉町は、2000年代に入ってから霞城セントラルや山形テルサといった施設が行政主導で建設された他、ビジネスホテルや高層マンションが進出する一帯と化している。
もっとも、ビジネスホテルが目立つのは東京から新幹線で2時間40分ほど、仙台から高速バスや電車で1時間少々という環境の山形市が常設の営業拠点を設けるに値しないと判断された結果という側面があるし、空き地もそこかしこにあって有効に活用されているとは言い難い。一見近未来的だが、よく見ると山形市の置かれた状況を残酷なまでに表している風景と言えなくもないだろう。
 
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2014年3月27日 ~東京日帰り旅行記③~

結局、午後2時過ぎに東京タワーを出発。赤羽橋駅とは逆方向にある東京メトロ日比谷線神谷町駅から、銀座駅へと移動することにした。雨はまだ降り続いているし、子供達も疲労の色が出始めている。とりあえずは、銀座の街並みを見ながら喫茶店で時間でも潰そうかと思ったのである。
銀座五丁目、中央通に面して文明堂のカフェがあったので、入店。
が、直後に、入店を後悔することになる。
コーヒー一杯の値段が、なんとお昼に食べたカレーの値段よりも高いのだ。店内を見渡すと、中高年の女性が大半を占めている。いささか古い表現だが、語りにふける彼女達がみんな有閑マダムに見えてきた。場違いな所に来てしまったな…と再び後悔。でも、妻の表情を見ると「どうせ銀座のカフェなんてこのぐらいの値段なんでしょ」と意に介さない様子だったので、少し救われた。
とりあえず、コーヒーとカステラを注文し、とりあえずはコーヒー代の元を取らなければと適当な話をしながら1時間弱滞在。多少粘った効果があったのか、店を後にする頃には、雨が止んでいた。
 
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雨が止んだとなれば、東京の街を存分に歩いてみたくなる。ちょっと思いきって、銀座から皇居経由で丸の内まで歩くことにする。気のせいかもしれないが、疲れ気味だった子供達も、歩くと聞いて元気を取り戻したように感じれた。
中央通りからみゆき通りに入り、西進。校舎に蔦が絡まる泰明小学校の風格ある校舎を目にし、下の子が、
「この小学校は、受験して入る所なの?」と訊いてくる。
「いや、公立の小学校だよ」と返すと、「でもさ、こんなにクルマも信号もいっぱいある所の学校って、通うの大変そうだね」と、現役の小学生らしい感想を口にする。
JRのガードをくぐると、中央区から千代田区へ。帝国ホテルや東京宝塚、日生の各劇場の前を通り過ぎ、日比谷公園の前で右折し、日比谷通を北上。皇居の周囲を走るランナーに抜かれながら歩き、馬場先門の交差点で今度は左折。皇居外苑へと入る。子供達は「東京の中にもこんなに広々とした所があるんだ!」と目を丸くしている。上の子などは、これまでの雨の中や屋内での閉塞感から解放されたかの如く、外苑の中を駆けだす始末。
ここで、ひょっとしたら皇居の周囲を走るランナーも、皇居が有する解放感を味わいたくて、走っているのかもしれないな…と思う。 
二重橋の前まで歩き、記念撮影してから、踵を返して丸の内へと向かう。
 
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改めて、皇居外苑から、丸の内方向を撮影。 警察官が常駐し若干物々しい雰囲気ではあるが、コンクリートジャングルの中でこの広々とした空間は、やはりオアシス的な効果をもたらしていると思う。何度でも訪れたいと思わせる風景だ。
 
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坂下門から行幸通りを経由し、東京駅に到着。 昨年リニューアルされた駅舎も立派だが、周囲のビルがこぞって高層化されたのにも驚かされる。元気を取り戻した子供達は、ビルを指さしては何階建てかいちいち数えている。30階建て以上は当たり前。そんな風景、福島県はもちろんのこと、日本全国探してもそうそうあるものではない。東京の凄さを、改めて思い知る。
 
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夕食の予約をしていた午後6時まではまだ間があったので、東京駅の構内や、周囲のビルの中も歩いてみる。
下の写真は昨年東京駅前にオープンしたKITTEの内部。5階までが吹き抜けになっている斬新なデザインが特徴だ。この他にも、丸の内ブリックスクエアなどを見て回る。ブリックスクエアの1階にあるキャス・キッドソンというショップに妻と下の子の女性陣はクギ付けとなり、実に30分以上もの時間を店内で費やす。私と上の子の男性陣は彼女達についていくことができず、館内に設けられた椅子で仮眠を決め込む。
夕食は、同じブリックスクエアの地下1階にあるまんてん鮨。子供達にとっては生まれて初めてとなる「回転しないお寿司」でもある。全国各地から取り揃えられたネタの数々に、舌鼓を打つ。アナゴの稚魚やらホタルイカやら、福島ではまず食べられないネタもあったりして、15種類以上は戴いたろうか。1時間半ほど堪能したら、すっかりお腹いっぱいになっていた。 
 
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2014年3月27日 ~東京日帰り旅行記②~

浜離宮庭園を出、海岸通りを渡ると、カレッタ汐留を中心とした汐留の高層ビル街となる。昭和の雰囲気が色濃く残っている上野や浅草とは対照的に、高層ビル、地下、地上、そしてペデストリアンデッキと3層の通路、更に通路の上にはゆりかもめの高架橋が通っていて、とにかく近未来的というか、やたらと立体感が強調された一角である。
カレッタ汐留から多少新橋寄りにある日本テレビへと足を運ぶ。社屋前の広場で何組かのお笑い芸人がロケをやっているのをペデストリアンデッキから発見し、興奮した私はスマホでの撮影を試みるものの、近くにいたガードマンから「撮影禁止ですよ」とたしなめられる。周囲をよく見ると、「撮影禁止」「立ち止まらずにお進みください」といった紙が至る所に貼られており、赤面。ただ「芸能人が間近に見られる東京」の姿は、子供達に見せることができたと思う。
また、日本テレビでは、社屋内の日テレ屋で、軽くショッピング。人気番組や日本テレビと関わりの深いスタジオジブリのグッズ、あと何故かふなっしーのグッズが一通り揃っていて、特に下の子が強い興味を示していた。
 
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とは言うものの、汐留での滞在時間は、予定していたよりもはるかに短いものだった。正午頃まで時間を潰すつもりだったのだが、11時になると「もう見るものがない」状態に。
仕方がないので、カレッタ汐留の地下で昼食にする。訪れたのは、インド定食 ターリー屋。ナンで食べる本格的なインドカレーが食べられる。福島県内ではあまりお目にかかれないお店だし、子供達もナンを食べた経験がなかったから、行き当たりばったりで選んだにしては悪くないチョイスだとは思う。
家族4人で定食を頬張っていると、近くのオフィスから訪れるのかサラリーマンやビジネスマンで店内が混みだす。ひょっとしたら、正午まで汐留で粘っていたら、昼食にありつくのに少々難儀したかもしれない。早めの昼食は結果的には正解だ。ターリー屋ではお店での食事の他にテイクアウトも受け付けており、お昼時は相当繁盛しているように見受けられた。
昼食を終え、汐留駅から都営大江戸線に乗車し、赤羽橋で下車。駅の近くにある東京タワーを目指す。スカイツリーは眺めるだけに留めたのに東京タワーには登る予定を立てているのだから、我々一家も天の邪鬼だ。雨はまだ降り続いており、しかも風が強まっているようだ。持参していた折り畳み傘が何度も裏返り、その度に子供達が笑う。
 
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東京タワーの大展望台に登る。天候から十分予測できたことだが、眺望はあまり良くない。 一応、お台場方面にスマホを向けて撮影してみたのだが、下の写真のような具合。
だもんで、タワー内では、眺望以外の部分にも目が行きがちだったりする。展望台内にあるタワー台神宮に飾られた絵馬を一枚一枚眺めてみたり、売店内のグッズを細かく物色してみたり。
そう言えば、タワー内の客は、外国人の比率がかなり高かったように思う。少なく見積もって3分の1は外国人。しかも、アジア系よりも欧米系の人が多いようだ。東京タワーは周辺に外国の大使館が多いので外交官の友人や親戚が訪れやすいロケーションなのかもしれない。タワー側も外国人の対応には慣れているようで、係員が流暢な英語で話しかけるシーンも目の当たりにした。
 
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遠くは良く見えなかったが、真下は良く見える。下の写真は、大展望台の床に設けられた、ルックダウンウィンドウ。特に小さい子供の興味をひいていたようで、日本人、外国人を問わず、下をのぞき込んだりガラスの上に登ったりして楽しんでいた。
うちの子供達も、ガラスの上に恐る恐る足を伸ばしてみる。ついでに私も…と思いかけたが、妻に制止される。
 
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展望台から降りた時点で、時刻はまだ1時半。当初は3時半頃まで東京タワーに滞在する予定だったのだが、スケジュールがだいぶ早まってしまった。午後6時に丸の内の寿司屋で夕食をとる予約をしているので、とにもかくにも、あと4時間半時間潰しをしなければならない。
そこで、東京タワーのフットタウン内にある東京タワー水族館に、足を運んでみることにした。考えてみたら、子供達は水族館を訪れた経験も、1、2度あったかどうか。良い時間潰しにはなりそうだ。
館内では、鑑賞用の魚が所狭しと飼育されていた。大型の水槽を設けることができないスペースの関係上海獣、あるいは鮫やマンボウなどの大型魚はいなかったものの、熱帯魚から亀、金魚(!)に至るまで、東西南北海水淡水問わず各地から魚が集められており、それなりに見応えがあった。
なお、館内には外国人観光客の姿は全くなく、幼稚園から小学校低学年の子供の姿がずいぶん多く見られた。お揃いの帽子をかぶった子供の団体もいたから、学校行事などで活用される機会も結構あるのかな…と感じた。
 
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2014年3月27日 ~東京日帰り旅行記①~

先日、上の子が小学校を卒業した。
そこで、上の子の旅費が子供運賃のうちに、家族で卒業旅行へと出掛けようと企画してみた。
行先は、東京。うちの子供達は東京ディズニーリゾートへは複数回訪れたことがあるものの、東京都内への本格来訪は皆無。だからこそ、得るものもあるんじゃないのかな…と思ったのだ。もっとも、私の仕事はなかなか連休が取りづらいため、行程も日帰りの強行軍。東京の街なんてたった一日では回りきれるはずもないので、ピンポイントで効率良く回れる所を回ろうかと考えている。
妻の運転で福島駅まで行き、6時33分発の上り始発の新幹線で、まずは出発。
 
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とは言うものの、今回の日帰り旅行では、懸念材料がひとつあった。
それは、天気。今日の東京の天気予報は「曇り時々雨」。午前中の降水確率は50%とのこと。
南下を続ける新幹線。福島駅付近で降っていた雨は宇都宮駅付近では完全に上がっており我々を喜ばせてくれたが、東京が近付くと再び濡れた路面と傘を差した通行人の姿が目立つようになる。遠方の眺望もきかない…霧雨だろうか。旅のオープニングは上野駅から御徒町駅までアメ横を歩き、その後地下鉄で浅草へと移動し隅田川水上バスに乗る計画を立てていたので、雨では楽しみも半減してしまう。
8時10分、上野駅に到着。周辺の天気は、やはり霧雨。
それでも、家族全員傘をさして、アメ横を歩いてみた。時間帯的に致し方のないことだが閉店している店が多く、人通りも殆どなく通りをゴミ収集車が我が物顔で走っている状況であったが、色濃く残る昭和の雰囲気は今も変わらず、また、昨年放送された朝ドラ「あまちゃん」の舞台でもあるアメ横の雰囲気は、ある程度堪能できた。
 
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アメ横を歩いた後は、上野広小路駅から東京メトロ銀座線に乗り、終点の浅草駅へ。この路線は戦前に全通した東京では最も古い歴史を誇る地下鉄で、そのせいもあってか車両がかなり小ぶり。しかも、さっきまで新幹線に乗っていたから、その小ささがひときわ目立つように感じられた。
浅草駅で 下車した後は、浅草のシンボル・雷門の前で記念撮影。アメ横と同様に仲見世もまた開店前の店が多かったものの観光客の姿がチラホラ見られる。特にアジア系の外国人の姿が目立った。
 
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雷門から浅草駅前・吾妻橋の袂にある水上バスの乗り場まで移動。出航時刻は9時35分とのことなので、しばし待機し、隅田川の風景を家族で眺める。
浅草は東京スカイツリーから東武スカイツリーラインでわずか一駅。直線距離にして1キロ少ししか離れていないはずだが、驚いたことに、スカイツリーは先端が霧に隠れてしまっており、天候の悪さを改めて思い知る。なお、スカイツリーは今回の旅行コースには入っておらず、浅草から眺めるだけにとどめる予定を立てていたため、完全にあてが外れたことになる。
ただ、子供達は、そんな親の落胆はどこ吹く風とばかりに、川沿いに見えるアサヒビールタワーの個性的なデザインや隅田川を時々行き来する船に興味津々であり、特に下の子は、その佇まいをデジカメに何枚も収めていた。とりあえず、胸をなで下ろす。
 
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定刻通りに、水上バスが出航。浜離宮庭園日の出桟橋に直接向かうのではなく、一旦北上して隅田公園の桜を見せるという粋な趣向を見せてくれたのだが、残念なことに肝心の桜が一部の早咲き桜を除いて開花しておらず、こちらも空振り気味。
相変わらず、遠方の眺望もきかない。強いて子供達の関心をひいたのは橋の下を通過する瞬間だったが、いくつも連続して通過するとさすがに飽きてしまった模様。上の子などは、 前日の寝不足がたたってしまったのかついに寝入ってしまった。ありゃりゃ…東京ならではの体験ができるかなと思ってチョイスした川下りなのに、まさか乗船中に舟を漕がれるとは想像していなかった。
出航から30分を経過し、水上バス隅田川の河口へと近づいていく。かつて開閉橋だった名残が残る勝鬨橋、数年後には豊洲へと移転する築地市場を通過し、浜離宮庭園に到着。ここで下船し、汐留の街を訪れようかと思う。
外は相変わらずの雨。この先の行程が若干心配ではあったが、庭園内に設けられた菜の花畑があまりにも鮮やかで、ちょっぴり心が癒される。
 
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2014年3月15日 ~上の子が空を飛んできた~

今日、小学校の卒業を控えた上の子が、「心の翼プロジェクト ボーイング747‐400卒業フライト」に参加し、福島空港から生まれて初めてのジャンボ機搭乗体験をしてきました。
妻と下の子が同行したのですが、私は仕事のため不参加(涙) でも、そんな私のために(?)写真と土産話を沢山持って帰ってきてくれました。
今日は、そんな写真のごく一部を、紹介したいと思います。
 
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お昼過ぎに福島空港の滑走路に姿を現した、ボーイング747‐400。午前中に仙台空港で卒業フライトの企画をこなしてからの来訪です。
 
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ちょっとピンボケになってしまいましたが、アップで撮影するとさすがに大迫力ですね(笑)
 
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機内の撮影を上の子に依頼。雲海の上を快調にフライト中
 
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機内から地上を撮影。ここはどこだろう? フライト時間は、一時間少々でした。
上の子もそうですが、ジャンボに乗った小学6年生のみんなにとって、楽しく、有意義な経験になったと思います。

2013年8月28日 ~米沢・新潟旅行記 その4~

今度は、萬代橋から新潟駅方面を撮影。
川の対岸、道路の左側に建っている大きなビルは、地元紙・新潟日報社の本社ビルで、メディアシップという名前がついている。その名の通り、外観は帆船(北前船)をイメージしたものだという。そう言えば、新潟市と同じく日本を代表する港町である横浜市みなとみらいのヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルに、雰囲気が似てなくもない。
なお、メディアシップの向かい側は、路線バスや高速バスが頻繁に発着している新潟交通のバスセンターを中心に、伊勢丹新潟店、LoveLa万代、万代ビルボードプレイスといった商業施設が集中する万代シテイである。
 
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下の写真は、万代シテイの中核施設の一つ、LoveLa万代の外観。2005年までこの場所にはダイエー新潟店が入居していたが、経営不振のため撤退し、代わりにロフトやイオンなどが入居する商業施設へと生まれ変わった。店内には入らなかったが、周囲には、古町界隈ではあまり見かけなかった若者や家族連れの姿も少なくなかった。新潟市の繁華街は「高齢層=古町 若年層=万代シテイ」という住み分けが、できているのかもしれない。
なお、下の写真の奥に写っている塔は、万代シテイ内のランドマーク的な役割を担っているレインボータワー。1990年代に私も一度だけ登り新潟の街の眺めを堪能したことがあるが、残念なことに現在は登ることができなくなっているとのこと。
 
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新潟駅に近づくと、沿道には若者の姿が更にみられるようになる。駅前周辺は商店街と言うよりも10階建前後のビルが建ち並ぶオフィス街でありビジネスマンとおぼしき人の姿が目立つ点も特徴なのだが、新潟駅構内や駅の南側には商業施設が進出しているし、新潟駅万代シテイをハブとして相互間を歩きながらショッピングする人が少なくないのだろう。
駅前広場には、14時45分頃に到着。白山駅を出てから、ちょうど1時間が経過していた。
 
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ところで、新潟駅の構内は、少なくとも2020年代後半まで続くという非常に長いスパンで、在来線の高架化や駅舎の改築といった大改装工事が進行中。かつては1~7番線まであった在来線ホームも、現在では5~7番線が撤去されており、高架化工事が行われている。完成後は、上越新幹線と同じ3階に、計5線のホームが設けられるという。
そんな訳で、エキナカの状況も、若干ゴチャゴチャしている様子。人通りこそ多いものの、現時点で駅ビルのCoCoLoの売場が数ヶ所に分断されている影響もあってか、よそ者にとってわかりづらい構内となっている。きれいに整備される頃にはひょっとして私は60代!? などと想像しながら、構内を散策する。
 
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在来線のホームが一気に三つも減ったため、現在の新潟駅は、1番線ホームの東側、駅舎にぶつかる形で仮設の8、9番線ホームが設けられている。私が乗車する予定の信越本線、15時25分発新津駅行普通列車も、9番線ホームから発車するとのこと。なお、新津駅からは16時09分発の磐越西線の列車に乗り、福島県へと戻る予定を立てている。
件の仮設ホームへと足を運ぶ。往路の羽越本線と同じくドアを手で開ける電車だったので、少々ガッカリ。しかし、それ以上にガッカリしたのは、隣の8番線に白新線の15時23分発豊栄駅普通列車が停車していたこと。新潟駅からは信越本線白新線とが同じ方向へと発車しているが、ホームの位置は両路線ごちゃまぜで一定していないらしい。
これはちょっと酷いな…と思う。帰宅後にJR東日本のURL(http://www.jreast-timetable.jp/1309/timetable/tt1137/1137040.html)で確認したところ、同じ信越本線の列車が、なんと1~4、8~9のすべてのホームから発車していることがわかる。事情はどうあれ、あまりにも不親切ではなかろうか。今回の私のケースで言うとホーム一つ間違っただけで、全く違う駅へと連れて行かれる訳で、誤乗防止のためにも、発着番線はできる限り路線別に振り分けて欲しいと強く思う。
 
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